【大河ドラマ・豊臣兄弟!】信長の養育係だった林秀貞(諏訪太朗)はなぜ追放された?年表・子孫

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大河ドラマ豊臣兄弟」の林秀貞諏訪太朗さんが演じていますね
第25話「変事の予兆」で織田信長から追放を言い渡されてしまいます

豊臣秀吉
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尾張統一前から織田家を支えた筆頭家老じゃ
その大物が、24年も前の罪を持ち出されて追われるとはのう、、、

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それでは林秀貞の生涯と「追放の謎」を、年表・相関図とあわせてみていきましょう

林秀貞の年表

説明
1513林通安の子として誕生する。
??幼少の織田信長の一番家老として仕える。
1552織田信秀が亡くなり、織田信勝の擁立を画策する。
1556柴田勝家らとともに信勝を擁立して挙兵。
織田信長に許され宿老に復帰する。
1568信長の上洛に従い義昭との起請文に筆頭で署名。
1575信長の嫡男・織田信忠の補佐役を任される。
1580突如として追放される。
去年68。

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林秀貞とは何者?織田家を支えた筆頭家老?

林秀貞(演:諏訪太朗)は、織田信長(演:小栗旬)の父・織田信秀の代から仕えた、織田家の譜代の重臣です。

信長が少年の頃に那古野城を与えられた際、家老の筆頭に任じられました。二番家老が、のちに諫死したことで有名な平手政秀であり、秀貞はそれを上回る地位にあったことになります。

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平手政秀は信長の傅役

信長の素行の荒さを理由に切腹したといわれています

柴田勝家や佐久間信盛が「武」のトップだとすれば、秀貞は政治・外交を取り仕切る「文」のトップでした。

徳川家康(演:松下洸平)との清洲同盟では立会人を務め、信長が発給する政治文書のほとんどに署名し、公家との取次役もこなしています。まさに織田家の屋台骨を支えた行政官だったのです。

なお、林秀貞は長らく「林通勝」の名で知られてきました。しかし『言継卿記』など信頼できる一次史料には「秀貞」とあり、こちらが正しいとされています。松永久秀の家臣にいた同姓同名の「林通勝」と混同された、というのが有力な説です。

林秀貞はなぜ信長を裏切ったのか

信長の父・信秀が亡くなると、秀貞は次第に信長の言動に不信を抱くようになります。

奇抜な服装、信秀の葬儀で位牌に抹香を投げつけた振る舞い。そうした「うつけ」ぶりを見て、秀貞は弟の織田信勝(演:中沢元紀)こそ当主にふさわしいと考えるようになりました。

1556年、秀貞は弟・林通具柴田勝家(演:山口馬木也)らとともに信勝を擁立して挙兵しました。(稲生の戦い)

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柴田勝家は信勝側の家老でしたが

林秀貞は信長を裏切って信勝を擁立したわけですね、、、

兵力では信勝方が上回っていましたが、戦いは信長の勝利に終わり、この合戦で秀貞の弟・通具は信長自らの手で討ち取られてしまいました。

興味深いのは、秀貞自身は戦に直接参加せず静観していたとされる点です。

稲生の戦いの前、信長がわずかな供で那古野城を訪れた際、弟の林通具は「これから信長公を襲って切腹させよう」と提案しました。

しかし秀貞は、

三代報恩の主君に手はかけられない

と、これを断固として拒んだと伝わります。

信長個人への不信と、織田家への忠義との間で揺れ動く、秀貞の複雑な胸の内がうかがえます。戦後、秀貞は母・土田御前のとりなしもあって赦免され、再び宿老として織田家に仕えることになりました。

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林秀貞はなぜ24年前の罪で追放されたのか

稲生の戦いから赦された秀貞は、その後24年間も筆頭家老の地位を保ち続けました。

1575年には信長の嫡男・信忠の補佐役を任され、1579年には村井貞勝とともに安土城天主の見学を許されています。少なくともこの時点まで、信長の信頼は揺るぎないものと思われます。

ところ1580年8月、秀貞は突如として織田家を追放されました。

安藤守就・丹羽氏勝も同時に追放され、さらに石山本願寺攻めで5年も功績を挙げられなかった佐久間信盛父子も、ほぼ同じ時期に折檻状を突きつけられて追放されました。

「信長公記」が記す秀貞の追放理由は、なんと「かつて信勝を擁立して謀反を起こしたから」というものでした。

しかしそれは24年前の、一度は赦免されたはずの出来事です。あまりに難癖じみており、真相は今もはっきりしません。おもに次のような説が唱えられています。

・老齢で実務の役に立たなくなり、実力主義を進める信長に切り捨てられたという説

・天下統一を前に、家督争いを知る古参を一掃したかったという説

・組織を「家の論理」から「公儀(天下統一事業)」へと作り変えるための、見せしめだったという説

いずれにせよ、林秀貞の追放は、佐久間信盛の追放と並ぶ戦国最大級の「リストラ事件」として知られています。「どれだけ尽くしても、過去の過ちひとつですべてを失う」――この恐怖は、明智光秀ら他の家臣に強烈な不安を植えつけ、2年後の本能寺の変の遠因になったとも言われています。

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どれだけ忠義を尽くしても追放されるとわかったら不安を感じますよね

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【ネタバレあり】ドラマと史実で「追放の理由」が違う?

豊臣兄弟!第25話では、この追放劇が衝撃的な形で描かれます。

完成した安土城の祝宴で、信長は若き近習・森乱(演:市川團子)相撲の相手に、なぜか林秀貞・佐久間信盛・安藤守就という長老格の重臣を次々と指名。寄る年波に勝てず敗れた3人に、信長は問答無用で追放を言い渡すのです。

ドラマでは追放の理由が史実とは少し異なり、明智光秀(演:要潤)が信長の「真意」を語る、という演出になっています。史実とドラマの違いを整理すると、次のようになります。

史実(出典:信長公記):24年前の信勝擁立の謀反を蒸し返された
豊臣兄弟25話:武田との内通を疑われた

同じ「追放」でも、その動機の描き方に脚本の解釈が表れていて、史実とあわせて見ると味わい深い場面になっています。

歩兵くん
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24年前の謀反を理由に追放するのは考えにくいですよね

林秀貞の最期は?追放後の消息と墓

地位も領地も住む場所も奪われた秀貞は、京都に身を寄せ、「南部勝利(南部但馬守)」と名を改めてひっそりと暮らしたと伝わります。その後、安芸国(広島県)へ移ったともいわれています。

ドラマでも、追放された秀貞は山城へ流れ、その地で世を去る姿が描かれます。かつて天皇にも拝謁した栄光の筆頭家老の、あまりに寂しい晩年でした。

そして追放からわずか2か月後の1580年10月、秀貞は失意のうちに病没したと伝えられます。享年68。死因は病とされますが、追放の衝撃が老体に応えたためともいわれます。

織田家のために生涯を捧げた男の、報われない最期でした。現在も広島市内に、その墓石が残っているとされています。

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生まれてから織田家に仕えているのに

追放されるとは思っていなかったでしょうね、、、

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林秀貞の子孫は土佐藩の重臣として続いた

悲運な運命を辿った林秀貞ですが、その血筋は意外な形で生き残りました。

秀貞の子・林一吉(勝吉)は、父とともに追放・蟄居の身となりました。

しかしその後、旧知の仲であった山内一豊に仕えました。山内一豊から偏諱を受けて林一吉に名を改めたといわれています。

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山内一豊も尾張で岩倉織田家に仕えていましたから

関係もあったのかもしれません

山内一豊が土佐一国の大名となると、林家もこれに従い、子孫は土佐藩の重臣として続いていきました。

主家・織田家からは追われながらも、林の家名は別の地で命脈を保ったのです。戦国の非情さと、それでも途絶えなかった一族の執念が感じられる結末といえるでしょう。

林秀貞を演じるキャストは諏訪太朗

大河ドラマ「豊臣兄弟!」で林秀貞を演じるのは、数々の映像作品で存在感のある脇役を務めてきた諏訪太朗さんです。織田家最古参の宿老という重責、そして栄光から一転して追放される悲哀を、ベテランならではの深みのある芝居で表現しています。

林秀貞は、秀吉や光秀が頭角を現すよりずっと前から織田家を支えた「雲の上の上司」です。主人公・秀長(演:仲野太賀)たち若い世代から見て、組織の論理に翻弄される古参の象徴として、その姿が描かれます。第25話の相撲のシーンは、諏訪太朗さんの名演が光る見どころのひとつになりそうです。

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今回の信長も相撲が好きですね

ちなみに、シミュレーションゲーム「信長の野望」シリーズでも、林秀貞は織田家の宿老として登場します。武勇よりも政治・内政の能力が高く設定されることが多く、史実の「行政官」としての評価がそのまま反映されているのが面白いところです。

まとめ

林秀貞は、織田信秀の代から仕えた筆頭家老として政治・外交で織田家を支えながら、一度は信長を裏切り、奇跡的に赦されたのち、24年後に過去の罪を蒸し返されて追放された、戦国の非情を体現する悲運の宿老でした。

大河ドラマ「豊臣兄弟!」第25話「変事の予兆」では、安土城の宴での相撲という意外な形でその転落が描かれます。栄華のなかに忍び寄る変事の予兆――信長の冷徹な一面と、それに翻弄される古参たちの姿に注目です。

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