
戦国武将の中にはもっと長生きしていれば
歴史は大きく変わったのにという武将が何人もいますよね

天下まであと少しの武将も何人もいたからのー
だからこそ、わしは健康に気をつけていたんじゃ

今回はもっと長生きしていれば
歴史は違っていたかもしれない武将をまとめてみました!!
前田利家
前田利家は豊臣秀吉が亡くなった翌年に亡くなってしまった。秀吉は利家に豊臣家の繁栄と豊臣秀頼を任せていた。そのため、利家は豊臣家内の揉め事や争い事をおさめ、徳川家康の脅威を退けていた。
ところが、仲裁役の前田利家が亡くなってしまったことで、石田三成などの文治派と加藤清正などの武断派の争いが激化。家康に付け入る隙を与えてしまい、関ヶ原の戦いが勃発してしまう。
もし、前田利家があと少し長生きしていれば、関ヶ原の戦いは起こらず、豊臣政権は守られたかもしれない。


前田利家には人望も経済力もあったし
家康は手をだせなかっただろうな


前田殿が亡くなる際
何度もわしに豊臣への忠義があるか問いだしてきたぞ
武田信玄
武田信玄は徳川家康に三方ヶ原の戦いで完勝し、織田信長討伐に向けて京都に向かっているところで亡くなってしまった。信玄の死後、武田家は急速に弱体化して滅亡してしまう。
織田信長は武田信玄を強敵と感じていたし、敵が多すぎたために信玄と合戦をしている場合ではなかった。その信玄が生きていれば、武田家は信長に滅ぼされず、天下に名乗りを挙げていたかもしれない。


信玄は53歳での急死だから
もっと長生きできそうですよね


信玄公が長生きしていれば
わしの命は危なかったな
上杉謙信
上杉謙信も武田信玄と同様に、織田信長討伐へ向けて動き出し始めたところで亡くなってしまった。謙信の死後、上杉家には大規模な家督争いが勃発し弱体化。豊臣秀吉に取り込まれてしまった。


本能寺の変がなければ
上杉家は滅亡していたやもしれんぞ
謙信は手取川の戦いで織田軍に勝利し、「信長も大したことなかった」と言い放つほどの武将。もし、謙信が生きていれば、信長は思うように勢力を拡大できずにいたかもしれない。


謙信が亡くなった頃には信長は十分力をつけていたから
信玄ほどのインパクトはないかも
豊臣秀長
豊臣秀吉の実弟である豊臣秀長。秀長は小田原征伐で豊臣軍が勝利し、秀吉が天下統一を果たしたのを見届けて亡くなってしまった。
秀長は弟ということもあり、秀吉に意見でき、秀吉と家臣との取り次ぎを行える重要な役回りを果たしていた。そのため、家臣からの人望も厚かった。その秀長が亡くなったことで、秀吉の暴走が始まってしまった。
秀長が長生きしていれば、朝鮮出兵もなく、関ヶ原の戦いも起こらず、豊臣秀頼を支えて、豊臣政権は安泰だっただろう。


豊臣秀吉が亡くなったあと
秀頼を支える身内が1人でもいれば
違うかっただろうな
豊臣秀次
豊臣秀次は豊臣秀吉の養子となり、次期後継者として地位を固めていたときに自害に追い込まれて亡くなった。


真相は秀頼を溺愛しすぎた
秀吉に追い込まれてしまいましたね
もし、秀次が秀吉と良好な関係を保ったまま、生きていれば、秀頼を支える重要な役回りをしていただろう。さらに、関ヶ原の戦いが起こったとしても、西軍が大敗することはなかったと思う。


秀次が亡くなったのは
豊臣家にとって大損害!!


豊臣秀次切腹事件の黒幕はわしではないぞ
織田信長
織田信長がもう少し長生きしていればという話はもはや定番だろう。天下統一の夢半ばにして、家臣の明智光秀の裏切りにより本能寺の変で亡くなってしまった。
織田信長が生きていればその後の日本は大きく異なっていただろう。わたしが思うに、織田信長は天下統一を成し遂げることができ、海外に目を向けたであろう。そして、江戸時代のような鎖国の時代は訪れず、世界に大きな存在感を示したであろう。


信長の政権が続いたら
秀吉や家康の時代はなかっただろうな
まとめ
今回はあともう少し長生きしていれば、歴史に大きな変化をもたらしたであろう戦国武将を6人紹介しました。今日の話は筆者の気まぐれの想像の話に過ぎません。しかし、このような「もし」を考えることは非常に興味深いことではないですか?


「歴史IF」にロマンがありますよねー
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