
「大河ドラマ豊臣兄弟!」の三好康長は妹尾正文さんが演じていますね

信長様に最後まで抵抗した三好の生き残りじゃが
のちに甥・秀次を養子に迎えたんじゃ

しかも本能寺の変「四国説」の鍵を握る人物なんですよね
それでは三好康長の生涯をみてみましょう!
三好康長の年表
| 年 | 説明 |
|---|---|
| ?? | 三好長秀の子に生まれる。 三好長慶の叔父にあたる。 |
| 1532 | 兄・元長が死去。 阿波を拠点に三好実休を補佐する |
| 1562 | 久米田の戦いで実休が戦死。 河内高屋城を任される。 |
| 1565 | 三好三人衆側につき松永久秀と対立。 |
| 1568 | 織田信長の上洛により阿波へ退く。 |
| 1569 | 大和方本圀寺の変で将軍・足利義昭を襲撃する。 |
| 1570 | 石山本願寺と結んで信長への抵抗を続ける。 |
| 1575 | 高屋城の戦いで織田信長に降伏。 名物「三日月の茶壺」を献上し、信長の家臣として許される |
| 1580 | 長宗我部元親が阿波へ侵攻。 |
| 1582 | 本能寺の変で四国攻めは中止。 畿内へ戻り、羽柴秀吉に接近する。 |
| 1582? | 秀吉の甥・豊臣秀次を養子に迎える。 |
| ?? | 没年数は不明。 |
三好康長とは?三好長慶の叔父・一族の長老格
三好康長は、阿波(徳島県)出身の武将です。
生年は分かっていませんが、「最初の天下人」とも呼ばれる三好長慶の叔父にあたり、三好一族のなかでも長老の位置にあたります。
兄・三好元長の死後は、長慶の弟で阿波国主であった三好実休を支え、一族の本拠地・阿波を固める役割を担いました。1562年に実休が久米田の戦いで戦死すると、直後の教興寺の戦いで畠山高政を撃破。この功もあって、河内(大阪府)の要衝・高屋城を任されます。


長慶の死後に三好家が分裂すると、康長は三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・石成友通)側につき、松永久秀と争いました。「豊臣兄弟!」でも序盤に描かれた、三人衆による将軍・足利義昭襲撃(本圀寺の変)にも康長は加わっています。


三好咲岩とは?茶の湯に通じた文化人
三好康長を語るうえで欠かせないのが、出家後の法号「咲岩」です。
「咲」は「笑」の古い字にあたるため、「笑岩」と表記されることもあり、史料やゲーム・漫画では「三好笑岩」の名で登場することもあります。
康長は堺の豪商・津田宗達・宗及父子の茶会にたびたび出席するなど、茶の湯や連歌に通じた文化人としても知られていました。1568年頃の茶会記には、すでに「咲岩」の法号を使っている様子が確認されています。


「堺に築いた人脈」が三好康長の運命を決めることになります
三好康長は信長に抵抗した最後の三好勢力
1568年、織田信長(演:小栗旬)が上洛すると、三好三人衆の勢力は瓦解し、康長も阿波へ退きます。
しかしその後も畿内への反撃を繰り返し、1570年代には高屋城に拠って石山本願寺と連携しながら、信長への抵抗を続けました。松永久秀(演:竹中直人)や三人衆が次々と脱落していくなかで、康長は信長に抗い続けた最後の三好勢力でした。
1575年、信長は大軍を率いて高屋城を攻め、康長はついに降伏しました。このとき康長は、信長側近の松井友閑を通じて、信長が欲しがっていた名物の茶壺「三日月」を献上しました。
茶の湯に熱中していた信長は名物の茶道具を熱心に集めており、「三日月の茶壺」はその中でも屈指の名品とされていました。
これが信長を大いに喜ばせ、康長は一転して信長の家臣として厚遇されることになります。
長年の敵対にもかかわらず生き残った、康長の外交センスと文化人脈が光る場面です。降伏後は河内南部を任され、石山本願寺攻めでは織田方として戦いました。


堺で人脈を築いていたことが助かりましたね
長宗我部元親との戦い
信長はもともと、土佐の長宗我部元親(演:磯部寛之)に対して「四国は切り取り次第」という方針を示していました。
ところが1580年、阿波へ勢力を広げた元親が、織田方となっていた康長の子・三好康俊の城を攻撃したことで状況が一変します。
信長は元親を抑える方向へと四国政策を転換。1582年には三男・織田信孝(演:結木滉星)を総大将とする四国攻めを決定し、「讃岐は信孝に、阿波は康長に」与えるという構想を打ち出しました。しかも信孝は康長の養子となる予定だったとされ、康長は先発隊として一足先に阿波へ渡海しています。
阿波を追われた三好一族の長老が、信長の力を借りて故郷を取り戻す。康長にとって四国攻めは、まさに悲願の舞台でした。
本能寺の変「四国説」と三好康長
しかし1582年、本能寺の変が勃発します。
阿波で長宗我部元親の一宮城などを攻略中だった三好康長は、変報を聞くと急ぎ兵をまとめて河内へ引き返しました。信孝率いる本隊の渡海も中止となり、康長の阿波復帰も信孝との養子縁組も白紙になりました。
実はこの本能寺の変をめぐって、近年注目されているのが「四国説」です。
明智光秀(演:要潤)は長宗我部元親との取次を務めており、家臣・斎藤利三(演:内藤剛志)の縁者が元親に嫁ぐなど、深い関係にありました。一方で秀吉は康長と結び、信長の四国政策は「元親容認」から「康長・信孝による征討」へと転換していきます。
つまり、秀吉—康長ラインの台頭によって、光秀—元親ラインの面目が潰されたことが、光秀を謀反へ駆り立てた一因ではないか——というのが四国説の骨子です。


豊臣兄弟では、長宗我部元親、三好康長が配役されているので、四国説が描かれるのか注目です
秀吉の甥・秀次を養子に!「三好信吉」の誕生
本能寺の変後、康長は羽柴秀吉に接近しました。
そして、秀吉の姉・ともの長男である豊臣秀次を養子としました。「三好信吉」と名乗り、三好家の名跡を継ぎます。


弥助もこのときに「三好吉房」と名乗っています
縁組の時期については、本能寺の変の直後とする説のほか、1579年頃にはすでに成立していたとする説もあります。
もし信長生前時であれば、秀吉と康長の結びつきはより早くから始まっていたことになり、先ほどの「四国説」とも深く関わってきます。
三好康長の最期・子孫は?
意外なことに、三好康長の最期ははっきり分かっていません。
本能寺の変後は秀吉のもとで活動しますが、やがて史料から名前が見えなくなり、没年も不詳です。あれほど畿内を騒がせた武将としては、静かすぎる幕引きといえます。
実子の三好康俊は阿波で長宗我部氏との攻防の渦中にあり、最後は消息不明となりますが、その子・俊長は長宗我部氏に仕え、同氏の改易後は土佐の山内家に仕えたと伝わります。
また康長の旧臣たちは「若江八人衆」として養子・秀次に仕えました。秀次が継いだ「三好」の名跡は羽柴姓への復帰で役目を終えますが、秀次の実父・弥助が名乗った「三好吉房」の三好姓も、康長との縁組に由来するとみられています。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」で三好康長を演じるのは妹尾正文
「豊臣兄弟!」で三好康長を演じるのは妹尾正文さんです。
ドラマではすでに三好三人衆として三好長逸(演:中野英樹)・三好宗渭(演:奥田洋平)・石成友通(演:阿部亮平)が登場しており、長宗我部元親(演:磯部寛之)のキャストも発表済み。三好一族の長老・康長が加わることで、四国をめぐる対立の構図がいよいよ出そろうことになります。
物語は第25回から「本能寺編」に突入しました。この先は信長の四国政策の転換、そして秀次の三好家入りが描かれる段階に差しかかるため、康長は本能寺の変前後の重要な局面で登場するとみられます。信長に降り、秀吉と結び、乱世をしたたかに泳ぎ切った三好の長老を妹尾さんがどう演じるのか、注目です。
まとめ
三好康長(咲岩)は、三好長慶の叔父として一族を支え、信長に最後まで抵抗したのち、名物「三日月の茶壺」ひとつで許されて家臣に転じた武将です。
阿波をめぐって長宗我部元親と争い、信長の四国政策の中心に立ったことから、本能寺の変「四国説」の鍵を握る人物ともいわれます。変後はいち早く秀吉と結び、甥の秀次を養子に迎えて三好家の名跡を継がせました。没年すら分からない謎めいた幕引きも含め、乱世をしたたかに泳ぎ切った三好一族の長老でした。
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