
「豊臣兄弟!」では竹中半兵衛は菅田将暉さんが演じることで話題ですね
大河ドラマ【豊臣兄弟!】
— 大河ドラマ「豊臣兄弟!」2026年1月4日放送開始 (@nhk_toyotomi) January 7, 2026
《 新キャスト発表 》
戦国時代を代表する名軍師
美濃の斎藤龍興に仕えていたが、のちに秀吉の参謀となる#竹中半兵衛(たけなか はんべえ) / #菅田将暉
菅田さんからのコメントはこちら
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半兵衛は小一郎(秀長)と一緒にわしを支えてくれたのー

今回は竹中半兵衛の生涯をみてみましょう
↓豊臣兄弟キャストの相関図
竹中半兵衛の相関図


竹中半兵衛の稲葉山城の乗っ取り
1544年、竹中半兵衛(演:菅田将暉)は斎藤家家臣・竹中重元の子として美濃国(岐阜県)に生まれました。本名は竹中重治です。1556年、斎藤義龍(演:DAIGO)が父・斎藤道三を討ち取った長良川の戦いで初陣を飾りました。
1560年、父・重元の死去により、17歳で竹中家の家督を相続し、菩提山城の城主となります。そして、同世代の斎藤龍興(演:濱田龍臣)に仕えました。しかし、若くして美濃一国の主となった龍興は、酒食に溺れ、一部の側近のみを寵愛するようになります。そのため、竹中半兵衛や美濃三人衆といった家臣たちは遠ざけられ、次第に士気を失っていきました。


半兵衛が遠ざけられた理由として、色白で弱々しかったからとも言われています


そこで竹中半兵衛は、過激な手段によって主君・斎藤龍興に目を覚まさせようとしました。半兵衛は舅である安藤守就(演:田中哲司)と通じ、龍興の居城・稲葉山城(岐阜城)を急襲しました。
わずか18人足らずの兵で稲葉山城を奪還するという離れ業を成し遂げましたが、その後半年ほどで城を明け渡し、隠居の身となりました。


この稲葉山城の乗っ取りで半兵衛の名は一躍有名になったんですよね


竹中半兵衛は豊臣秀吉の家臣
斎藤家が織田信長(演:小栗旬)によって滅ぼされると、竹中半兵衛は近江(滋賀県)へと身を移し、浅井長政(演:中島歩)のもとで客分として迎えられました。しかし、その仕官は長くは続かず、ほどなくして再び世を離れ、隠遁の道を選びます。
もっとも、乱世において半兵衛ほどの才を持つ男が、静かに埋もれていられるはずもありませんでした。
美濃を手中に収めた織田信長は、その名を聞きつけ、半兵衛に仕官を促します。しかし半兵衛は、信長の誘いに首を縦には振りませんでした。
竹中半兵衛は信長の誘いは断りましたが、木下藤吉郎(豊臣秀吉, 演:池松壮亮)に仕えました。秀吉は半兵衛を迎えるにあたり、三国志になぞらえた「三顧の礼」を尽くしたという逸話が残されていますが、おそらく創作だと考えられています。


半兵衛は天才軍略家の諸葛孔明になぞらえて、「今孔明」と言われていました
織田信長と浅井長政の関係が悪化すると、竹中半兵衛はかつての縁故を頼りに、浅井家臣の調略に奔走しました。その結果、長亭軒城や長比城を調略によって寝返らせることに成功しています。信長は半兵衛を高く評価し、仕官を望んだ理由も、単に「天才軍師」だったからというより、敵対する浅井家に通じた人脈を持つ武将であった点にあったのかもしれません。


半兵衛が天才と誇張されすぎている部分はありますよね
竹中半兵衛と黒田官兵衛の関係
羽柴秀吉が中国攻めの総大将となると、竹中半兵衛はこれに従い、宇喜多家の城を調略によって次々と陥落させました。またこの頃、同じく軍師として活躍していた黒田官兵衛と親交を深めていきます。


わしには小一郎(豊臣秀長)、小六(蜂須賀正勝)、半兵衛、勘兵衛
優秀な家臣が大勢おったのー
そして、この二人の親しさを物語る出来事が起こります。
織田家臣・荒木村重が謀反を起こし、有岡城に立て籠もった際、村重と懇意であった官兵衛は、単身で説得に赴きました。しかし、説得は失敗し、官兵衛は捕縛されて牢に幽閉されてしまいます。
官兵衛がなかなか戻らないことに業を煮やした織田信長は、官兵衛が荒木村重と結託して裏切ったものと激怒し、その報復として官兵衛の長男・松寿丸(黒田長政)を処刑するよう秀吉に命じました。
この危機に際し、半兵衛は機転を利かせ、松寿丸ではない偽の首を信長に差し出すことで、事態を収拾します。
その後、有岡城落城に伴って救出された官兵衛は、この恩義を深く感じ、感謝のしるしとして竹中家の家紋を拝領したと伝えられています。


半兵衛は頭が良くて、スッとしてるイメージですが、情に熱い武将なんですね
1579年、竹中半兵衛は三木合戦の陣中において病没しました。秀吉は京都での療養を勧めましたが、半兵衛は「陣中で死ぬことこそ武士の本懐」としてこれを固辞したと伝えられています。


竹中半兵衛の伝説エピソード3選
その1
黒田官兵衛は、羽柴秀吉から約束されていた知行の加増が実現していないことに不満を抱き、秀吉の花押が記された書状を携えて直談判しました。
このとき秀吉の側に控えていた竹中半兵衛は、その書状を手に取るや否や、破り捨てて火にくべ、「このようなものがあるからこそ、不満が生じるのだ」と吐き捨てたと伝えられています。


秀吉が半兵衛の息子(竹中重門)に加増を約束した書状も燃やしています
その2
竹中半兵衛は、常に貧相な馬に乗っていたといいます。それを不思議に思った羽柴秀吉が、「その身分にしては、あまりに粗末な馬ではないか」と尋ねました。
すると半兵衛は、「名馬を持てば、盗まれはしないかと気がかりになり、いざという時に馬を捨てて逃げる決断ができなくなる。勝機を逃さぬためにも、乗り捨てる覚悟のつく馬こそがよいのです」と答えたと伝えられています。


一方、山内一豊は名馬で出世していましたね
その3
竹中半兵衛が息子・重門に戦の軍略を教えていた折、重門が急に席を立ってしまいました。半兵衛が理由を尋ねると、小用(小便)だと答えます。
これを聞いた半兵衛は激怒し、「たとえ小便を漏らすことがあろうとも、軍談の席を立ってはならぬ。もし竹中の子が軍談に聞き入り、座敷を汚すことがあれば、それこそ竹中家の誇りであろう」と厳しく戒めたと伝えられています。


半兵衛のエピソードは人気のあまり誇張されていることが多いので、注意が必要ですね
竹中半兵衛の年表
| 年 | 説明 |
|---|---|
| 1544 | 竹中重元の長男として生まれる。 |
| 1556 | 長良川の戦いで初陣を飾る。 |
| 1560 | 竹中家の家督を相続する。 菩提山城主となる。 |
| 1561 | 主君の斎藤義龍が亡くなる。 斎藤龍興が主君となる。 |
| 1563 | 新加納で織田軍と戦い勝利する。 |
| 1564 | 稲葉山城から主君を追放する。 |
| 1567 | 織田信長により斎藤家が滅亡する。 浅井長政の客分となる。 |
| 1570 | 木下秀吉に仕える。 |
| 1578 | 秀吉に従って中国征伐に参戦する。 |
| 1579 | 三木合戦中に病で亡くなる。 |











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