【大河ドラマ・豊臣兄弟!】中川清秀(キャスト:すがおゆうじ)は秀吉と義兄弟だった!?賤ヶ岳で散った壮絶な最期!子孫 家系図 年表

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歩兵くん
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大河ドラマ豊臣兄弟!」の中川清秀すがおゆうじさんが演じていますね

荒木村重の配下でしたが、羽柴軍に加わりました

豊臣秀吉
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実は、中川清秀はわしと「義兄弟の契」を交わしていたんじゃ

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それでは中川清秀の生涯をみてみましょう!

中川清秀の年表

説明
1542摂津国で誕生する。
1568摂津国人・池田勝正に仕えていたが
織田信長に上洛に合わせて臣従する。
1569本圀寺の変で足利義昭に加勢する。
1571和田惟政を敗死させる。
茨木城の城主となる。
1578荒木村重が信長に謀反を起こす
1578織田軍に茨木城を包囲され降伏する。
1580?羽柴秀吉と義兄弟の契をかわす。
1582山崎の戦いに羽柴方の先鋒として出陣する。
1583賤ヶ岳の戦いで討ち死にする。
享年42。

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中川清秀とはどんな人物?

中川清秀(演:すがおゆうじ)は、摂津国(大阪府)の戦国武将です。

1542年、摂津の中河原(大阪府)に生まれました。通称は瀬兵衛せひょうえ。並外れた武勇から「鬼瀬兵衛」と恐れられた、摂津きっての猛将でした。

はじめは摂津の有力国人・池田氏に仕えていましたが、1568年に織田信長(演:小栗旬)が上洛するとこれに臣従しました。1569年の本圀寺の変では足利義昭(演:尾上右近)の危機に、織田方として加勢し三好三人衆に奇襲攻撃を仕掛け多大な損害を与えました。

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本圀寺の変は、織田信長が京都を離れた隙に三好一族が足利義昭を襲撃した事件ですね

1571年の白井河原の戦いでは、将軍・足利義昭の重臣だった和田惟政(演:玉置孝匡)を討ち取る大金星を挙げます。この戦功で頭角を現し、1577年には茨木城の城主となりました。

また清秀は、人脈にも恵まれた武将でした。高槻城主の高山右近(演:市川知宏)従兄弟にあたり、茶人として名高い古田織部には妹が嫁いでいます。つまり織部は清秀の義弟。古田織部を主人公にした人気漫画「へうげもの」では、織部の頼れる義兄として登場しています。

中川家の家紋は「中川久留子なかがわくるす」と呼ばれる十字の紋です。

「クルス」はポルトガル語で十字架を意味するためキリシタンとの関係が連想されますが、清秀自身が洗礼を受けた記録は残っていません。十字ではなく馬のくつわを図案化したとする説もあります。ちなみに従兄弟の高山右近は、有名なキリシタン大名です。

中川久留子。中川清秀の家紋。

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荒木村重の謀反と中川清秀

1578年、清秀の運命を揺るがす事件が起こります。

摂津一国を任されていた荒木村重(演:トータス松本)が、織田信長に反旗を翻したのです。このとき清秀は村重の与力(配下)であり、謀反に加担して茨木城に籠城しました。

一説には、釈明のため安土へ向かおうとした村重が茨木城に立ち寄った際、

信長は一度疑った者を必ず滅ぼす

と引き止めたのが清秀だったとも伝わります。事実なら、村重の謀反を後押しした張本人ということになります。

しかし織田軍の猛攻と調略を受けると、高山右近に続いて清秀も織田方へ帰参

織田信長(演:小栗旬)は清秀を許し、茨木城と本領を安堵しました。村重を焚きつけておきながら自分は早々に降伏した形となったため、「裏切り」の武将と評されることもあります。

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中川清秀も高山右近も荒木村重に裏切りを仕向けておいて

すぐに織田に帰参するとは、、、

羽柴秀吉と「義兄弟の契り」を結んでいた!

織田家に復帰した清秀は、播磨攻めなどを通じて羽柴秀吉(豊臣秀吉, 演:池松壮亮)と関わりを深めていきます。

『中川氏年譜』には、1580年6月5日付けで秀吉と清秀が交わした誓紙が残されています。

向後兄弟之契約申定候(今後は兄弟の契約を申し定める)

つまり秀吉と清秀は、正式に「義兄弟の契り」を結んでいたのです。信長の家臣同士がここまで踏み込んだ約束を交わすのは異例のことで、秀吉が摂津の猛将・清秀をいかに重視していたかがうかがえます。

そしてこの2年後、同じ6月5日付けで、秀吉から清秀へ歴史に残る「ある手紙」が送られることになります。

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2年後とは本能寺の変の年ですね

本能寺の変と秀吉の「ウソの手紙」

1582年6月2日、本能寺の変

明智光秀(演:要潤)が織田信長を討つと、畿内の諸将は「光秀につくか、討つか」の決断を迫られました。

摂津の中川清秀高山右近のもとにも、光秀から味方に誘う調略の手が伸びます。

このとき、毛利氏と急ぎ和睦を結び、備中高松城から驚異のスピードで引き返してきた秀吉(中国大返し)が、6月5日付けで清秀に送ったのが、有名な「ウソの手紙」です。

上様ならびに殿様、いづれも御別儀なく御切り抜けなされ候。膳所ケ崎へ御退きなされ候
(信長様も信忠様も、いずれもご無事に切り抜けられ、近江の膳所まで退かれました)

実際には信長も信忠もすでに亡くなっていましたから、真っ赤なウソです。

秀吉は「信長は生きている」と偽ることで、清秀ら摂津衆が明智方へ流れるのを防いだのでした。義兄弟の清秀にすら平然とウソをつく——秀吉の非情なまでの決断力がよく表れた逸話です。

なお、この手紙の原本は清秀の菩提寺・梅林寺に伝わったため、「梅林寺文書」と呼ばれています。

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第28話「急げ!秀吉」では、まさにこの中国大返しの攻防が描かれましたね

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中川清秀は山崎の戦いで先鋒として奮戦!

6月13日、秀吉軍と明智軍は京都と大阪の境・山崎で激突します(山崎の戦い)。

清秀は高山右近らとともに先鋒を任され、天下分け目の代名詞となった「天王山」をめぐる激戦で奮戦。明智軍を打ち破る原動力となりました。

戦後の論功行賞で清秀は摂津国内で大きく加増され、12万石に達したと伝わります。摂津の一国人から、大名級の武将へと大出世を遂げたのです。

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中川清秀の山崎の戦いでの動きにも注目ですね

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賤ヶ岳の戦いの壮絶な最期

信長の死後、織田家の主導権をめぐって秀吉と柴田勝家(演:山口馬木也)の対立が激化。1583年4月、両軍は近江北部で対峙します(賤ヶ岳の戦い)。

清秀が守りを任されたのは、最前線の大岩山砦でした。しかし秀吉本隊が美濃へ出払った隙を突き、4月20日未明、柴田方の猛将・佐久間盛政が電撃的な奇襲を敢行。大岩山砦に攻撃しました。

砦に残っていた兵はわずか500〜1,000ほど。周囲からは退却を勧められましたが、清秀は「一戦も交えずに退いては武士の名折れ」と踏みとどまり、玉砕覚悟の防戦を選びます。

そして多勢に無勢の激闘の末、清秀は討死享年42でした。

しかし、清秀の死は無駄ではありませんでした。

大岩山を陥落させた佐久間盛政が勝家の撤退命令に従わず前線に居座ったことで、報せを受けた秀吉は美濃から驚異的な速さで戦場へ取って返し(美濃大返し)、佐久間勢に総攻撃をかけて大勝。清秀の死守が、賤ヶ岳の戦いの勝敗を決定づけたのです。まさに「秀吉の天下を呼んだ死」といえるでしょう。

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清秀の最期がどのように描かれるか楽しみですね

中川清秀の墓はどこにある?

清秀のは、大きく2ヶ所に伝わっています。

ひとつは中川家の菩提寺・梅林寺。例の「ウソの手紙」が伝わったお寺でもあり、茨木の地で清秀は今も静かに眠っています。

もうひとつは、討死の地である大岩山の山頂です。大岩山砦跡に墓が建てられています。

なお居城だった茨木城は江戸時代初期に廃城となり、現在、跡地は茨木小学校などになっています。小学校の門として櫓門が復元されており、往時の面影を伝えています。

茨木城。小学校の門になっている。

中川清秀の家系図・子孫は?父の仇の娘を迎えた中川家

まずは中川清秀の家族関係を簡単な家系図で整理します。

長男の中川秀政は、織田信長娘婿。父の死後に家督と茨木城を継ぎ、のちに播磨三木城主となりましたが、朝鮮出兵の陣中、鷹狩りに出たところを襲われて25歳の若さで亡くなりました。

家督を継いだ次男の中川秀成は、1594年に豊後国・岡藩7万石(大分県)へ移り、初代藩主となります。驚くべきことに、秀成の正室・虎姫は、父・清秀を討った佐久間盛政の娘

秀吉の仲介によるものといわれ、虎姫は姑(清秀の妻)から嫌われたため、結婚後、一度も夫の領地(豊後国)に下向することはありませんでした。

豊後岡藩中川家はそのまま幕末・明治まで約270年続きました。居城の岡城は、滝廉太郎の名曲「荒城の月」のモデルになったことでも有名です。賤ヶ岳に散った猛将の血筋は、九州の地で確かに受け継がれました。

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中川清秀の家は幕末まで続いたんですね

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中川清秀を演じるキャストはすがおゆうじ

大河ドラマ「豊臣兄弟!」で中川清秀を演じるのは、すがおゆうじさんです。

第21話では、従兄弟の高山右近(演:市川知宏)とともに荒木村重の家臣として登場しました。

本能寺の変後の清秀は、秀吉の「義兄弟」として山崎の戦い・賤ヶ岳の戦いの中心に立つ武将だけに、ここからの出番の増加が期待されます。特に第32話「賤ケ岳の決闘」での大岩山の最期は、前半戦屈指の泣きどころになるかもしれません。

まとめ

中川清秀は、荒木村重の謀反・本能寺の変、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦いと、「豊臣兄弟」のこれからの見どころすべてに関わってくる武将なんですね。

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