【大河ドラマ・豊臣兄弟!】小堀正次(キャスト:萩原護)は秀長の家老で優秀な行政官

大河ドラマ

大河ドラマ「豊臣兄弟!」に登場する小堀正次こほりまさつぐ

小堀正次は豊臣秀長の家老として、行政官として手腕を奮った人物です。

この記事では、小堀正次の生涯、豊臣秀長との関係、秀長死後の動向について紹介します。

小堀正次の年表

説明
1540垣見正房の次男として近江に生まれる。
??出家する。
??還俗して磯野員昌の娘と結婚する。
??磯野員昌が浅井を離反したことで出家する。
??還俗して羽柴秀長に仕える。
1585頃大和紀伊の代官を務める。
1591秀長が亡くなり、秀吉に仕える。
1600関ヶ原の戦いで東軍に与して会津征伐に出陣する。
備中松山城を与えられる。
1604参勤交代中に亡くなる。享年65。

小堀正次の出自

小堀正次(演:萩原護)は、垣見正房の次男として近江国長浜に生まれました。母は浅井氏の娘とされていますが、詳しい出自については明らかになっていません。

次男であったためか一度出家しましたが、その後還俗し、浅井家臣・磯野員昌の娘と結婚しました。

歩兵くん
歩兵くん

磯野員昌は武功に秀でた武将で、「浅井四翼」と謳われていました

しかし、磯野員昌が浅井家から離反すると、正次は再び出家します。

その後、羽柴秀長(豊臣秀長, 演:仲野太賀)にその才を見込まれたことで再び還俗し、秀長の家臣として仕えることになりました。

磯野員昌。織田信長、信澄の家臣となったが、諍いから出奔した。

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小堀正次は豊臣秀長の家老

小堀正次は、羽柴秀長1,000石ほどの知行で仕えることとなりました。

秀長のもとでは、大和・紀伊の検地代官を務め、その手腕を発揮しています。

特に大和は、興福寺をはじめとする寺社勢力が強く、検地を進めることが容易ではない地域でした。そうした土地で検地を任されていたことからも、小堀正次の実務能力が秀長から高く評価されていたことがうかがえます。

歩兵くん
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秀長が穏健派であり、正次との息があっていたのかもしれないですね

小堀正次。

秀長死後の小堀正次の動向

1591年、豊臣秀長が亡くなると、小堀正次はその後継者である豊臣秀保に仕えました。

1595年、秀保も病によって亡くなると、正次は他の家臣たちと同様に豊臣秀吉の直臣となります。

歩兵くん
歩兵くん

この頃、小堀正次の所領は5,000石に到達したようです

1600年の関ヶ原の戦いでは東軍に属し、会津征伐に出陣しました。戦後、その功績から備中松山城1万4千石を与えられ、さらに備中国における徳川家の直轄領の管理も任されました。

正次は秀長に仕えていた時代から検地などの行政実務に携わっており、その経験を生かして領地の経営でも手腕を発揮しました。

しかし、1604年、江戸へ向かう途中の相模国藤沢で亡くなりました。正次の跡は息子の小堀遠州こほりえんしゅうが継ぎ、後に近江小室藩の初代藩主となりました。

小堀遠州。茶の湯に精通し、「小堀遠州流」の始祖。

小堀正次のキャストは荻原護

大河ドラマ「豊臣兄弟!」で小堀正次を演じるのは、俳優の萩原護さんです。

2003年7月9日生まれで、これまでに大河ドラマ「青天を衝け」の伝蔵役をはじめ、「最高の教師 1年後、私は生徒に■された」「新宿野戦病院」「ホットスポット」など、数多くの話題作に出演してきました。

「豊臣兄弟!」で演じる小堀正次は、近江の浅井家旧臣の出身で、豊臣秀長に仕えた人物です。紀伊や大和で検地を行うなど、秀長の領国経営を支える行政官として活躍します。

萩原さん自身も、正次が秀長家臣団の中では若手であることに触れ、自身も若手俳優として先輩たちに飛び込む気持ちで演じたいと意気込みを語っています。若き家臣として秀長をどのように支えていくのか、その演技にも注目です。

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まとめ

小堀正次は、豊臣秀長に仕え、検地や領国経営などの実務面で活躍した家臣です。秀長の死後も豊臣秀保に仕え、さらに秀保の死後は秀吉の直臣となりました。

関ヶ原の戦いでは東軍に属し、戦後には備中松山城1万4千石を与えられるなど、豊臣政権から徳川政権へと時代が移る中でも、その行政手腕を発揮しています。

「豊臣兄弟」では、秀吉や秀長を支えた武将だけでなく、小堀正次のように領国経営を担った実務者たちにも注目すると、豊臣政権がどのように支えられていたのかがみえてきます。

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