
なにかと比べられることが多い三英傑
色々な角度から比べてみた結果を見ていこう!
生年月日


1534年5月12日だ


1537年2月6日じゃ


1542年12年26日じゃよ


家康が秀吉と6歳差と結構離れているねんなー
兄弟


11男15女の次男だ


2男2女の長男じゃ


7男1女?の長男じゃよ


信長が意外と次男!!
秀吉は農民の生まれだから兄弟は少ないなー
妻


12人で正室は濃姫だ


14人で正室はねねじゃ


12人で正室は築山殿じゃよ


お家を存続させるためにも天下人にはたくさんの妻がいたんやなー
本当は、秀吉にはもっと側室がいたかも知れないなー
子ども


12男9女だ
家督は長男の信忠がついだぞ


3男じゃ
三男の秀頼が家督をついだんじゃ


11男5女じゃよ
三男の秀忠が二代目将軍となったんじゃ


諸説あるけど秀吉は信長の家臣時代に子どもをもうけていたみたいやなー
身長


162 cmだ


140 cmじゃ


155 cmじゃよ


戦国時代の男性の平均身長は158 cmといわれているよ
現代の女性の平均身長と同じくらいやな
あだ名


「尾張のおおうつけ」と青年期に呼ばれたわ


「はげねずみ」と信長様から呼ばれたんじゃ


「たぬき親父」じゃよ
政策


楽市楽座、関税廃止
伝統的な権力を取っ払って、自由に商売できるようにしたぞ


太閤検地、刀狩り
農民の反乱を抑えるような政策を行ったんじゃ


武家諸法度、禁中並公家諸法度
武士と公家に対する取り締まりを強化したんじゃ


家康がしっかりと法を定めたから
江戸時代が長く続いたんやろなー
勝率


59勝15敗8分だ
ここぞというときに勝利したんじゃ


106勝22敗15分じゃ
「戦わずして勝つ」ことが多かったな
それに半兵衛や官兵衛などの軍師もいたしのー


52勝10敗12分じゃよ
武田信玄との戦いでたくさん負けてしもうた


戦国武将で一番勝率が高いのは49勝9敗2分で毛利元就!
しかも元就が総大将のときは一度も負けていないんやで
城


「大坂城」じゃ
わしが築いた大坂城は大坂の陣でなくなった


「江戸城」じゃ
現在は皇居の一部になっておるな


戦国時代には235個もの城があったというよ
その中で現存する天守は12城やで
趣味


相撲、茶の湯
日本の相撲の原型をつくったんじゃ


茶の湯、能狂言
派手な茶の湯が好きだったんじゃ


漢方、鷹狩
健康のために薬作りと鷹狩は欠かせなかったんじゃよ


戦国武将のほとんどが「茶の湯」を愛していたみたい
小さな茶室で合戦の話し合いをしていたんやろな
天下を取った年齢


39歳で室町幕府を滅ぼし、46歳のとき畿内を平定だ
26歳のときに桶狭間の戦いで奇襲攻撃に成功したのが転機じゃな


45歳で明智光秀を討ち取り、53歳で関白就任
光秀を討ち取ってから破竹の勢いで天下をとったんじゃ


58歳で関ヶ原の戦いに勝利し、59歳で江戸幕府を開く
江戸幕府を開くまで長かったわい


戦国時代において天下とは近畿地方を平定することを指すよ
死因


49歳の時本能寺の変で明智光秀に討ち取られてしまったんだ


62歳の時、京都にいるとき病気で亡くなったんじゃ


豊臣家を滅ぼした翌年、75歳の時鯛の天ぷらにあたったってしもうた


信長は本能寺で亡くなったとされているけど
その遺体は見つかっていないんや
どこかで生きていたのかもしれないなー
辞世の句


「是非に及ばず」
本能寺で光秀に攻められて、「どうしようもない」だ


「露と落ち、露と消えにし我が身かな、浪速のことも、夢のまた夢」
農民から天下人までのぼりつめたことが、天下とは夢のようで儚いものじゃ


「先に行く、後に残るも、同じこと、連れてゆけぬを、わかれぞと思う」
この世の人はみんなあの世に行くから、この世とあの世の境界線はないということじゃよ
子孫


次男織田信雄の子孫が江戸時代に藩主として織田家を存続させたぞ


豊臣家は大坂の陣で滅んでしもうたわ


江戸幕府の将軍として存続したんじゃ


信長と家康の末裔は現在も存続しているよ
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