
織田信長と伊達政宗は30歳も離れていて
直接的な接点はないけど、2人にはいくつかの共通点があるよ

信長公が本能寺の変で亡くなったときに
政宗はまだ初陣を済ませたばかりじゃったな

そうだね!
それでは織田信長と伊達政宗の共通点をみていこう!!
共通点その1.残虐
残虐な戦国武将といえば、織田信長です。比叡山延暦寺を焼き討ちにしたり、一揆勢力に火を放ったり、裏切り者は一族郎党までも皆殺しにしたりと残虐な武将です。
伊達政宗も残虐な武将であり、父の輝宗は外交上手な武将でしたが、政宗は力で無理やり屈服させています。政宗は大内定綱の裏切りに激怒して、城にいた女子供までも皆殺しにしています。また、天下取りのためなら、人質に取られた父をも見捨てて領土を拡大しています。


政宗が残虐な武将だったとは


大規模な焼き討ちを行っていた。(絵本太閤記)
共通点その2.弟を成敗
戦国時代は誰が家督を継承するかで、かなり揉めることもありました。そのせいで戦に発展してしまうこともしばしばありました。
織田信長は父の織田信秀が亡くなったため家督を継承しましたが、弟の織田信行は反対して家督争いが勃発。信長は兵を率いて、信行の城を包囲して成敗しました。


信長はこうみえても次男
伊達政宗は幼い頃に疱瘡にかかってしまったため、母から嫌われていました。そして、母は弟の小次郎ばかりを愛するようになってしまいます。政宗はなんなく家督を継ぐことはできていますが、小田原参陣前に事件が起きてしまいます。
母は兄の最上義光に唆されて、政宗を毒殺しようと画策。これに気づいた政宗は母の代わりに弟の小次郎を成敗し、ことを収めたといいます。


この事件については謎が多いがなー
共通点その3.派手
織田信長の青年期はあまりに派手なファッションから「尾張のうつけ」と馬鹿にされるほどでした。また、広大な領土を支配するようになってからも、南蛮文化を取り入れた派手な服装を好み、ビロードのマントを靡かせていました。
伊達政宗は豊臣秀吉に朝鮮出兵を要請された際、かなりド派手な格好で出陣し、京都の人々を驚かせたといいます。伊達軍の衣装があまりに奇抜であったことからおしゃれな人を表す「伊達者」ということばも生まれました。


政宗は派手な格好をして
目立とうと考えたそうだ


共通点その4.海外
織田信長は積極的に宣教師と謁見しており、彼らが献上したバナナ、ワイン、地球儀、時計などに関心を持っていました。また、中国への関心も非常に強く、安土城の建築様式には信長の中国への憧れが出ているといわれています。


南蛮貿易は利益を挙げれるから
信長はやっていたのかもな
伊達政宗は江戸幕府が開かれても天下取りの野望を捨てておらず、南蛮貿易を行なって国力をつけ、スペインの艦隊を味方につけて幕府を倒そうと考えていました。そこで、家臣の支倉常長をスペインやローマへ派遣し、スペインの国王から「政宗は勢力あり、皇帝となるべしと認める人なり」といわれています。


政宗の天下取りの野望はなかなか消えなかったんじゃな


ローマまで出向いた。(wikipedia)
共通点その5.健康
大成した戦国武将の多くは健康に気をつけており、織田信長と伊達政宗も健康を気にしていました。
織田信長は49歳の時に本能寺の変で討ち取られてしまいましたが、長生きするために健康にはかなり気をつけていました。実際、朝早くに起床すると、馬術の訓練を行い、水泳や弓道の練習をすることはもちろん、意図的にお酒を飲まず、鷹狩りを好んだといいます。
伊達政宗も健康に気をつかっており、当時としては長生きの70歳で大往生を遂げています。ところが政宗の健康法は変わっており、朝早くに目覚めても側の者が起こしにくるまで起きないというこだわりがありました。また、喫煙者でしたが、朝、昼、晩と規則正しく3回タバコを吸っていたといいます。


徳川家康や毛利元就などの武将も健康に気をつけていたね
共通点その6.グルメ
織田信長はこう見えてもスイーツ男子でした。宣教師から献上されたカステラや金平糖、カラメルを非常に好んだといいます。また、愛知県出身ということもあり、味の濃い味噌料理を好んでいます。
伊達政宗は戦国武将の中でも1.2を争うほどの美食家であり、自ら台所に入って徳川家光に料理を振る舞うほどでした。また、料理を創作することも楽しみ、ずんだ餅や伊達巻は政宗によって考案されたものといわれています。


信長は甘いものを食べ過ぎて
糖尿病だったとか
共通点その7.男色
戦国武将の多くは男色を好んでいました。織田信長と伊達政宗も例にももれず、美少年を好んでいました。
織田信長が好んだ美少年といえば、森蘭丸です。森蘭丸は幼い頃から端正な顔立ちで、信長から非常に気に入られていました。また、信長に対しての気遣いも一流でした。


信長公は前田利家とも男色の関係にあったんじゃ
伊達政宗の男色の相手をしたのは片倉重長。片倉重長は二代目片倉小十郎であり、かなりの美少年として知られています。イケメンすぎて、男好きの小早川秀秋にストーカーされるほどでした。大坂の陣の時、重長が政宗へ先陣を切る許可を願い出ると、政宗は熱いキスを重長に送ったといいます。


重長は政宗の期待に応えて
後藤又兵衛を討ち取ったよ


(月岡芳年画)
まとめ
織田信長と伊達政宗の共通点を7つ紹介しました。織田信長が覇権を握っていることは、都から遠く離れた東北地方でも知られていたため、伊達政宗は織田信長に強い憧れがあったのかもしれません。「いつかはあの織田信長のように天下を取る」と考えて、東北地方から天下統一を目指したのでしょう。しかし、豊臣秀吉や徳川家康といった強敵に阻まれて天下統一への道は儚く消えてしまいました。


伊達政宗は大坂の陣が終わるまで
天下への夢を諦めなかった武将だからなー
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