大河ドラマ「豊臣兄弟!」に登場する吉川平助。
吉川平助は商人の生まれでありながら、豊臣秀長の家臣として活躍した人物です。
この記事では、吉川平助の生涯、豊臣秀長との関係、熊野材木事件について紹介します。
吉川平助は豊臣秀長の家臣
吉川平助(演:松岡広大)の前半生については、詳しいことはわかっていません。
もとは織田信長(演:小栗旬)のもとで、伊勢大湊の船奉行を務めていたといわれています。
1582年、本能寺の変が起こると、徳川家康(演:松下洸平)はわずかな供回りとともに畿内から三河への帰国を目指しました。いわゆる「伊賀越え」です。このとき吉川平助は、家康が伊勢から海路で三河へ渡るための船を用意したと伝えられています。
その後、吉川平助がどのような経緯で豊臣秀長(演:仲野太賀)の配下となったのかは明らかになっていません。ただし、本能寺の変後のいずれかの時期に秀長に仕えるようになったとみられます。
1585年、豊臣秀吉(演:池松壮亮)による紀州征伐が終わると、秀長は紀伊国を与えられました。これに伴い、吉川平助も紀伊湊に入り、雑賀の地に城を築いたといわれています。


吉川平助が築い城は、和歌山城の城下町に取り込まれたとおもわれます
吉川平助の着服で秀長失脚のピンチ
吉川平助が代官を務めた紀伊湊は、木材の集散地として栄えており、平助は材木の調達や管理を担当していました。当時、京都の復興などによって木材の需要が高まっており、良質で知られた紀伊の木材は高い商品価値を持っていました。


紀伊の国は山が多く、材木の宝庫ですね
1588年、秀長の命を受けた吉川平助は、熊野から調達した材木2万本を大坂で販売しました。しかし、その売却代金の一部を着服し、私腹を肥やしていたといわれています。
やがて、この不正が秀吉の知るところとなり、吉川平助は大和の西大寺で処刑され、さらし首となりました。
この事件では、主君である秀長も家臣に対する監督責任を問われたといわれています。秀長は「天下の面目を失った」として秀吉の怒りを買い、正月の拝謁を許されなかったとも伝えられています。
一方、吉川平助の息子は父の罪に連座することなく、その後も秀長の後継者である豊臣秀保に仕えました。しかし、秀保が死去すると、ほかの秀長旧臣のように秀吉の家臣として召し抱えられることはなく、浪人となったといわれています。
こうした厳しい処置からも、吉川平助の不正に対する秀吉の怒りが非常に大きかったことがうかがえます。
豊臣兄弟 吉川平助キャスト
吉川平助を演じるのは、俳優の松岡広大さんです。1997年8月9日生まれ、東京都出身。2012年に俳優デビューし、2015年にはライブ・スペクタクル「NARUTO-ナルト-」で主人公・うずまきナルト役を務め、舞台を中心に存在感を高めてきました。
その後はNHK連続テレビ小説「らんまん」や映画「沈黙の艦隊」「八犬伝」など映像作品にも出演し、幅広く活躍しています。「豊臣兄弟!」が念願の大河ドラマ初出演となり、秀長の家臣・吉川平助役に抜擢されました。
まとめ
吉川平助は豊臣秀長に仕え、紀伊湊の代官として材木の調達や管理を担当しました。
しかし1588年、熊野の材木を売却した代金を着服したことが発覚し、処刑されます。この事件では秀長も監督責任を問われており、秀吉の厳しい家臣統制を示す出来事となりました。
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