大河ドラマ「豊臣兄弟!」に登場する毛受勝照。
あまり聞きなれない名前ですが、柴田勝家に仕えた武将で、「賤ヶ岳の戦いでは勝家の身代わりとなって討死した忠臣」として知られています。
この記事では、毛受勝照とはどんな人物なのか、柴田勝家との関係や賤ヶ岳の戦いでの最期について紹介します。

毛受勝照の年表
| 年 | 説明 |
|---|---|
| 1558 | 毛受照昌の子として生まれる。 |
| 1569頃 | 柴田勝家の小姓として仕える。 |
| 1574 | 伊勢長島の戦いに従軍。 |
| ?? | 柴田勝家から偏諱を受けて「勝照」と名乗る。 |
| 1583 | 賤ヶ岳の戦い。 柴田勝家の身代わりとなり討ち死にする。 |
毛受勝照とは?柴田勝家に仕えた武将
毛受勝照(演:中山義紘)は、戦国時代に柴田勝家(演:山口馬木也)に仕えた武将です。
尾張国(愛知県)の出身とされ、若い頃から勝家の小姓として仕えていました。
1574年の伊勢長島攻めでは、敵に奪われた柴田勝家の馬印を取り返す活躍をしたとされ、その功績から勝家の「勝」の一字を与えられて勝照と名乗ったともいわれています。
その後も勝家の近くで仕え、厚い信頼を得ていたと考えられています。


毛受勝照は賤ヶ岳の戦いに参戦
1582年、本能寺の変で織田信長(演:小栗旬)が亡くなると、織田家の主導権を巡って羽柴秀吉(演:池松壮亮)と柴田勝家が対立します。
そして1583年、両者が激突したのが賤ヶ岳の戦いです。
柴田軍では佐久間盛政(演:遠藤雄弥)が中川清秀(演:すがおゆうじ)を討ち取るなど、序盤は優勢に戦いました。
しかし、秀吉が「美濃大返し」と呼ばれる素早い進軍で戦場へ戻ると状況が一変。
佐久間盛政の軍勢は崩れ、柴田軍は敗走することになります。
柴田勝家も本拠地である北ノ庄城へ撤退しました。
このとき、勝家を救うために戦場へ残ったのが毛受勝照でした。
毛受勝照は柴田勝家の身代わりとなって討死
敗走する柴田勝家には、羽柴軍の追撃が迫っていました。
そこで毛受勝照は自ら殿(軍の最後尾)を引き受け、勝家を逃がそうとします。
さらに伝承では、勝照は柴田勝家の馬印である「金の御幣」を掲げ、
「自分こそが柴田勝家である」
と言い張りました。
つまり、あえて勝家の身代わりとなって羽柴軍を引きつけたのです。
当然、勝照のもとには羽柴軍が殺到します。
勝照は兄の毛受茂左衛門らとともに奮戦しましたが、多勢に無勢。
最後は兄弟そろって討死したと伝えられています。
一方、毛受勝照が時間を稼いだことで、柴田勝家は北ノ庄城まで撤退することができました。
しかし、その後は秀吉軍に北ノ庄城を包囲され、妻のお市(演:宮﨑あおい)とともに自害。
毛受勝照が命を懸けて守った勝家も、賤ヶ岳の戦いから間もなく最期を迎えることになります。
毛受勝照の墓はどこ?
毛受勝照と兄・茂左衛門の墓は、滋賀県長浜市余呉町にあります。
賤ヶ岳の戦いで討死した場所の近くには「毛受兄弟の墓」が残されており、現在も賤ヶ岳古戦場に関連する史跡の一つとなっています。
毛受勝照は大名になったような有名武将ではありません。
それでも、自ら主君の身代わりとなって戦った忠義の武将として、その名前は現在まで残されています。
まとめ
大河ドラマ「豊臣兄弟!」に登場する毛受勝照は、柴田勝家に仕えた武将です。
1583年の賤ヶ岳の戦いで柴田軍が敗れると、勝照は逃げる勝家を助けるために戦場へ残りました。
そして勝家の馬印を掲げ、柴田勝家の身代わりとなって羽柴軍を引きつけ、兄とともに討死したと伝えられています。
「豊臣兄弟!」では秀吉・秀長兄弟だけでなく、敗れる柴田勝家と、最後まで勝家に忠義を尽くした毛受勝照がどのように描かれるのかにも注目です。
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