
斎藤義龍は織田信長の敵ですね
DAIGOさんがサプライズで演じていることで話題ですね
大河ドラマ【#豊臣兄弟】#斎藤義龍 役 #DAIGO さんからコメントが届きました。
— 大河ドラマ「豊臣兄弟!」2026年1月4日放送開始 (@nhk_toyotomi) January 4, 2026
「TTS!ついに大河出演!という気持ちでした。
妻と練習もして『頑張って!』と言ってくれました!」
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DAIGOさんが出演した第1回は配信中🐒#大河ドラマ pic.twitter.com/lgElijK7c3

斎藤義龍はわれら豊臣兄弟に立ちはだかる最初の敵じゃな

今回は斎藤義龍がどのような武将だったのかをみてみましょう!
↓豊臣兄弟キャストの相関図
斎藤義龍の相関図


斎藤義龍は斎藤道三を追放した理由
1529年、斎藤義龍(演:DAIGO)は、斎藤道三の子として美濃国(岐阜県)に生まれました。一方で、義龍は美濃守護・土岐頼芸の実子ではないかという説も唱えられています。
土岐頼芸は斎藤道三が台頭する以前の主君にあたり、頼芸は愛人の三芳野という女性を道三に与えましたが、その時すでに三芳野は懐妊しており、その子こそが後の斎藤義龍であった、というのです。この出生の秘密を知ったことが、義龍と道三の対立へと発展し、最終的に道三を稲葉山城から追放する一因になったともいわれています。


この説は江戸時代末期の創作で、義龍は道三の実子であるといわれています
斎藤義龍は斎藤道三の長男ではありましたが、側室の子とされています。一方、次男の孫四郎、三男の喜平次はいずれも道三の正室・小見の方の子であったため、道三は血筋を重視し、正室の子を跡継ぎに据えようとしたと考えられています。


正室の子を跡継ぎにしたいのは当然のことといえば当然じゃな
それと道三は孫四郎の方が優秀だと思っていたようじゃぞ
やがて道三は義龍を疎んじるようになり、次男の孫四郎を斎藤家の跡継ぎとし、三男の喜平次には「一色右兵衛大輔」を名乗らせるなど、義龍との待遇の差を次第に明確にしていきました。


「一色」という苗字は室町幕府でも権威のある苗字ですね


1555年、義龍は道三の度重なる仕打ちに憤り、家臣に命じて弟たちを誅殺しました。翌1556年の長良川の戦いでは、斎藤道三が討ち取られ、これにより義龍は斎藤家の家督を正式に継承しました。


信長は義父・道三を助けようと出陣していましたが
なにもできずに帰っています
斎藤義龍は道三越えの武将だった
家督を継承した斎藤義龍は、将軍足利氏との関係を重視し、幕府の取次役を通じて「治部大輔」に任官されました。翌年には上洛して将軍・足利義輝に謁見し、御相伴衆にも列せられています。
これら一連の外交的成果により、義龍は「一色」を称することを許され、美濃守護であった土岐氏を凌ぐ存在であることを内外に示しました。さらに足利義輝から「義」の字を偏諱として与えられ、名を「高政」から「義龍」へと改めています。


「一色義龍」を名乗りましたが、「斎藤義龍」の方が知られているように
美濃の武士は「一色」であることを認めていなかったのでしょうね
さらに斎藤義龍は、美濃国内において検地と貫高制を実施しました。
当時、年貢の負担額は代々の慣行に基づく自己申告で定められており、土地や収穫高が明確に数値化されていませんでした。そこで義龍は土地の面積を測定し、それに基づいて収穫高を定める制度を導入します。
また、武士が代々同じ土地を支配する体制は、領民との癒着を生み、一揆の温床となる恐れがありました。そのため義龍は転勤制を採り入れ、武士と特定の土地との結び付きを断ち切ろうとしました。
これら義龍の施策は、後に豊臣秀吉(演:池松壮亮)が行った太閤検地と比べれば簡略的なものでしたが、明確な基準がほとんど存在しなかった当時においては、きわめて先進的かつ画期的な改革であったといえます。


斎藤義龍は武力も外交も内政もできる武将なんですね
斎藤義龍と織田信長の関係は?
織田信長(演:小栗旬)は義父である斎藤道三を討った義龍を討伐するという大義名分を掲げ、美濃への侵攻を開始しました。しかし、義龍が検地などの施策によって美濃の国力を高めていたため、信長は容易にこれを攻略することができませんでした。
1559年には、わずかな供回りを連れて上洛した信長を義龍が襲撃しようとしたと伝えられていますが、信長が事前に情報を掴んでいたため、この計画は未遂に終わっています。


「豊臣兄弟!」第1話の最後の方のシーンでも描かれていた襲撃ですね
実際には火縄銃による射撃で、「日本初の狙撃」といわれています
義龍は近江(滋賀県)の浅井氏の娘を正室に迎えるなど、婚姻政策によって勢力の安定を図っていました。しかし1561年、義龍はわずか33歳で病没します。
その後、斎藤龍興(演:濱田龍臣)が14歳で家督を継承しましたが、桶狭間の戦いで今川義元(演:大鶴義丹)を討ち取り、急速に勢力を拡大していた織田信長の侵攻を防ぐことができず、斎藤氏は滅亡へと向かいました。


斎藤義龍は武将として道三を上回るほどに優秀な人物だったけど
33歳で亡くなってしまうのは惜しいですよね
斎藤義龍の年表
| 年 | 説明 |
|---|---|
| 1529 | 斎藤道三の子として美濃に生まれる。 |
| 1554 | 道三が隠居して斎藤家の当主となる。 |
| 1555 | 弟の孫四郎、喜平次を誅殺する。 「范可」に改名する。 |
| 1556 | 長良川の戦い。斎藤道三を討つ。 「高政」に改名する。 |
| 1558 | 「治部大輔」を任官する。 |
| 1559 | 足利義輝に謁見し御相伴衆に任じられる。 「一色氏」を名乗ることを許され、「一色義龍」と称する。 |
| 1561 | 「左京大夫」に任じられる。 33歳で病死する。 |
斎藤義龍は長身だった!?
斎藤義龍は身長が高く、197センチもあったといわれています。そのため、馬に乗ると両足が地面についたといわれています。
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