【大河ドラマ・豊臣兄弟!】豊臣秀吉の妹・朝日姫は家康の正室だった!?農民から家康の嫁になった女 相関図 年表

朝日姫は1543年、なか(大政所)と竹阿弥との間に生まれました。姉に日秀尼、兄に豊臣秀吉と豊臣秀長がいます。結婚時期は明らかではありませんが、尾張(愛知県)の農民に嫁いだと伝えられています。その夫は、のちに「佐治日向守」と名乗ったとされますが、織田家臣・副田吉成が夫であったとする説もあります。

【大河ドラマ・豊臣兄弟!】豊臣秀吉の姉・とも(日秀尼)は秀吉に息子も孫も殺された悲運な姉

日秀尼(とも)は1534年に、木下弥右衛門と大政所(なか)の娘として生まれました。本名は「とも」ですが、出家後の法名にちなみ「日秀尼」として知られています。弟に豊臣秀吉、豊臣秀長、妹に朝日姫がいます。結婚時期は不明ですが、尾張(愛知県)の農民・弥助(三好吉房)に嫁ぎました。1568年に長男・豊臣秀次、1569年に次男・豊臣秀勝、1579年に三男・豊臣秀保を出産しています。

【大河ドラマ・豊臣兄弟!】豊臣秀吉、秀長の母・大政所(なか)は豊臣の天下をどうみていたのか?

大政所(なか)は、尾張国愛知郡御器所村(名古屋市)で生まれました。伝承では、美濃国(岐阜県)の鍛冶師・関兼貞の娘とされています。織田家の雑兵だった木下弥右衛門に嫁ぎ、日秀尼(とも)と豊臣秀吉をもうけました。弥右衛門の死後、竹阿弥と再婚し、豊臣秀長と朝日姫を産んだと伝えられています。

[残酷な最期!!]織田信長がおつやの方を逆さ磔の刑に処したわけとは?

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戦国最強の娘はやっぱり最強だった!?小松姫の生涯とは?

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織田信長が最も愛した女性?生駒吉乃の生涯とは?

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明智光秀は愛妻家!?光秀が愛した美女とは?

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豊臣秀吉の死後、ねねが徳川家康に接近したわけとは?

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瀬戸内のジャンヌダルク?女武将・鶴姫とは?

瀬戸内のジャンヌ・ダルクと呼ばれた女性がいた。その名も「鶴姫」という。水軍大将として大薙刀を奮って先陣をきって、活躍した女武将の生涯をみてゆく。

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