【大河ドラマ・豊臣兄弟!】羽柴秀勝(キャスト:柊木陽太)は信長の子で秀吉の養子!石松丸との違い・死因は?年表 相関図

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歩兵くん
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大河ドラマ豊臣兄弟!」の羽柴秀勝柊木陽太さんが演じていますね

豊臣秀吉
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信長様の五男でわしの養子になったんじゃ

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それでは羽柴秀勝の生涯をみてみましょう!

羽柴秀勝の年表

説明
1568織田信長の五男として誕生。幼名は於次丸。
1576秀吉の実子とされる石松丸秀勝が夭折。
秀吉が信長に養子縁組を願い出、秀吉の養子となる。
1581長浜城の留守を預かる。
1582備中高松城の水攻めに参加する。
1582実子・織田信長の葬儀で喪主を務める。
1582丹波亀山城主となる。
1583賤ヶ岳の戦いに参戦。
1584小牧長久手の戦いに参戦。
この頃から病気がちになる。
1585丹波亀山城にて病死。享年18。

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羽柴秀勝は3人いた!石松丸・於次丸・小吉の違い

羽柴秀勝を調べるうえで最大の落とし穴が、秀吉の子(実子・養子)に「秀勝」が3人いることです。まずは3人の違いを表で整理します。

石松丸秀勝於次丸秀勝(本記事の秀勝)小吉秀勝
秀吉との関係実子?養子(織田信長の五男)養子(甥。豊臣秀次の実弟)
生没年生年不詳〜1576年1568年〜1585年1569年〜1592年
主な事績長浜時代に夭折信長の葬儀で喪主・丹波亀山城主江(お江)と結婚・文禄の役で病没

石松丸秀勝とは?秀吉の実子とされる幻の息子

石松丸秀勝は、秀吉が長浜城主だった1573年頃に生まれたと推測される男児で、3人の秀勝のうち唯一、秀吉の実子とされる人物です。

母は側室の南殿とする説がありますが、記録が乏しく、その実在をめぐって今も議論が続いているほど謎の多い存在です。

石松丸は1576年に夭折してしまいます

跡取りを失った秀吉が、その直後に主君・信長へ願い出て迎えたのが、本記事の主役・於次丸でした。秀吉は養子となった於次丸に、亡き我が子と同じ「秀勝」の名を与えています。この名前の継承にこそ、石松丸への深い愛がにじんでいる、と考えることができるでしょう。

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最近は秀吉には実子がいたという説が有力ですね

江と結婚した「秀勝」は別人!小吉秀勝

「羽柴秀勝」で検索すると「江」「お江の方」という関連ワードが出てきますが、浅井三姉妹の三女・江と結婚したのは、3人目の秀勝である「小吉秀勝」です。小吉秀勝は秀吉の姉・とも(演:宮澤エマ)の次男で、豊臣秀次の実弟にあたります。

小吉秀勝は於次丸秀勝の死後、その名前と丹波亀山の領地を受け継ぎました。同じ名前で同じ城の主となったため、江戸時代の書物ですらしばしば混同されています。江の夫となった小吉秀勝は、文禄の役(朝鮮出兵)に出陣し、1592年に朝鮮半島の巨済島で病没しました。

江との間に生まれた娘・完子さだこは九条家に嫁ぎ、その血筋は現代の皇室にまでつながっています。

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この秀勝は姫たちに戦国でよく描かれていますね

なぜ秀吉は信長の子を養子にした?於次丸が羽柴家に来た理由

1576年10月、実子の石松丸を亡くした秀吉は、主君・信長に願い出て、当時9歳前後だった於次丸を養子に迎えました。家臣が主君の実子を跡取りとしてもらい受けるというのは、当時としても破格の待遇です。

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信長の実子を養子にもらった家臣は唯一秀吉だけです

この縁組には、双方にとって大きなメリットがありました。秀吉にとっては、信長の血を引く跡取りを得ることで、羽柴家の家格と忠誠心を同時に示せること。

「わしの領地も出世も、いずれすべて上様のお子のものになります」という、これ以上ない忠義のアピールになるからです。一方の信長にとっても、息子を送り込むことで、急成長する秀吉の勢力を織田一門に取り込める利点がありました。

信長は秀勝の傅役に、織田一門の藤掛永勝を任命しており、我が子の養育先への気配りもうかがえます。

13歳で長浜を任された若き城代

秀勝は単なる「お飾りの養子」ではありませんでした。

1581年頃、秀吉が中国攻めで留守にしがちな長浜城において、わずか13歳で文書の発給など領国支配を代行していたことが、現存する古文書からわかっています。このとき「次秀勝」と署名していることから、すでに元服を済ませていたと考えられています。

そして1582年には中国攻めの前線へ。あの有名な備中高松城の水攻めにも、秀吉本陣の一員として参加していました。まさにこの陣中で、秀勝の運命を揺るがす大事件が起こります。

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本能寺の変と羽柴秀勝|山崎の戦いから信長の葬儀の喪主へ

1582年6月2日、本能寺の変。

秀勝は実の父・織田信長(演:小栗旬)と、長兄・織田信忠(演:小関裕太)を同時に失いました。このとき秀勝は数え15歳。備中高松城から養父・秀吉とともに「中国大返し」で畿内へ駆け戻り、山崎の戦いに参戦して、実父の仇である明智光秀を討つ側に立ちました。

そして同年10月、秀吉が京都の大徳寺で盛大に営んだ信長の葬儀では、秀勝が喪主を務めます信長の遺体が見つからなかったため、香木で作った等身大の信長像を棺に納めて荼毘に付したという、あの有名な葬儀です。

信長の次男・信雄も三男・信孝も参列しないなか、「信長の実子であり秀吉の養子」である秀勝が喪主に立ったことは、秀吉こそが信長の後継者だと天下に示す、強烈な政治的パフォーマンスでもありました。

それでも秀勝自身は、清須会議の場で「織田家の後継者に」と担がれることもなく、あくまで羽柴家の子として養父に従い続けました。血筋を振りかざさないその姿勢からは、聡明で律義な人柄がうかがえます。

清須会議後は丹波亀山城主に|羽柴秀勝の領地

清須会議後の領地再分配で、秀吉には明智光秀の旧領・丹波国が与えられ、秀勝は明智光秀(演:要潤)のかつての本拠地・丹波亀山城の城主となりました。

父の仇の居城を、その息子が受け継ぐ。歴史の因果を感じさせる配置です。城主となった秀勝は家臣への知行宛行も行っており、朝廷からは「丹波守」、さらに「侍従」に任じられるなど、大名としての歩みを着実に進めていました。

このころには毛利輝元(演:濱正悟)の養女との縁談も進められていたと伝わります。ただし正室を迎えたことを示す確かな史料は残っておらず、「羽柴秀勝の妻」については、婚儀の前に本人が亡くなったとみるのが実情のようです。

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夭折してしまって婚姻の話がうまくいかなったのでしょう

長浜城の引き渡しをめぐって柴田勝家(演:山口馬木也)が羽柴軍の襲撃を警戒した際、秀吉は「襲うつもりなど毛頭ない」という保証として、大事な秀勝を一時的に人質として勝家に差し出したのです。勝家は無事に領国へ戻るとすぐに秀勝を送り返しました。秀勝への信頼と愛情があればこその、思い切った一手といえるでしょう。

その後も秀勝は、1583年の賤ヶ岳の戦い、1584年の小牧・長久手の戦いと、秀吉の主要な合戦に一部将として従軍し続けます。

羽柴秀勝の死因は?18歳の早すぎる最期と暗殺説

順風満帆に見えた秀勝ですが、小牧・長久手の戦いの頃から体調を崩しがちになります。

そして1585年、居城の丹波亀山城で死去しました。享年18。死因は病死で、当時の記録からは胸の病(結核のようなもの)だったとみられています。

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秀吉様、石松丸様に続いて2回も跡取りを亡くなったんですね

秀吉が関白に就任し、豊臣政権が固まっていくまさにその時期の死だったため、後世には「織田の血を引く養子が邪魔になった秀吉による暗殺ではないか」という説も生まれました。しかし、この暗殺説には裏付けとなる史料が存在しません。

秀吉はその後も織田信雄・織田信包・織田秀信ら織田一門を大名として存続させており、「織田の血だから排除する」という行動原理とは矛盾します。現在では、暗殺説は根拠の乏しい俗説とみるのが一般的です。

むしろ謎めいているのは、秀吉の公式な一代記である「天正記」に、秀勝の死がいっさい記されていないこと。跡取りと定めた息子を再び失った秀吉の悲しみの深さゆえ、あえて触れなかったのではないか、とも言われています。

もし羽柴秀勝が生きていたら?豊臣政権はどう変わったか

歴史に「もしも」はありませんが、秀勝の早世は豊臣政権のその後に大きな影を落としました。というのも秀勝は、「信長の実子」と「秀吉の養子」という二重の正統性を併せ持つ、唯一無二の後継者候補だったからです。

もし秀勝が生きていれば、秀吉の後継者は甥の豊臣秀次ではなく秀勝だった可能性が高く、その場合、豊臣家を大きく揺るがした秀次事件は起きなかったかもしれません。

もっとも、のちに実子の鶴松・豊臣秀頼が生まれた際の秀吉の溺愛ぶりを考えると、秀勝もいずれ後継者の座を追われ、秀次と同じ運命をたどった可能性も否定はできません。いずれにせよ、秀勝の死が豊臣政権の後継者問題の出発点のひとつになったことは間違いないでしょう。

羽柴秀勝のキャストは柊木陽太さん

「豊臣兄弟!」で羽柴秀勝を演じるのは、柊木陽太さん。

是枝裕和監督の映画『怪物』(2023年)で主演のひとり・星川依里役を務め、第47回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した実力派。大河ドラマは『光る君へ』(2024年)の一条天皇(幼少期)役に続いて2作目となります。

注目したいのは、そのキャスティングの妙です。本能寺の変当時の秀勝は数え15歳で、現在14歳の柊木さんとほぼ同年齢。さらに柊木さんは『怪物』で、本作の語りを務める安藤サクラさんと共演済みという縁もあります。京都府出身の柊木さんが、京都・亀岡の丹波亀山城主を演じるというのも面白いつながりですね。

秀勝の初登場は、第26話「信長を笑わせろ!」(7月5日放送)。秀吉が「秀勝の初陣にあたり、実父・信長じきじきの激励を賜りたい」という名目で信長を長浜城へ招く、という物語の要の役どころで登場します。第26話のあらすじはこちらの記事で詳しく解説しています。

まとめ

最後に、羽柴秀勝のポイントを整理します。

  • 羽柴秀勝(於次丸)は織田信長の五男で、羽柴秀吉の養子
  • 秀吉の実子とされる石松丸秀勝とは別人。江と結婚した小吉秀勝とも別人で、「秀勝」は3人いる
  • 13歳で長浜の支配を代行し、備中高松城攻めにも従軍した
  • 本能寺の変後は山崎の戦いに参戦し、大徳寺での信長の葬儀では喪主を務めた
  • 清須会議後、明智光秀の旧居城・丹波亀山城の城主となる

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