
大河ドラマ・豊臣兄弟に登場する「前野長康」は最古参の家臣ですよね

わしが「木下藤吉郎」だった頃から仕えてくれてるんじゃ

しかし、晩年は不遇な最期を迎えたようです
前野長康の生涯をみてみましょう
↓豊臣兄弟キャストの相関図
前野長康の年表
| 年 | 説明 |
|---|---|
| 1528 | 前野宗康の次男として誕生。 |
| ?? | 蜂須賀小六と義兄弟の契を交わす。 |
| 1558 | 主君・織田信賢が織田信長に敗れる。 |
| 1559 | 織田信賢が追放される。 織田信長の家臣となる。 |
| 1564? | 木下藤吉郎の家来となる。 |
| 1566 | 墨俣一夜城。 |
| 1568 | 観音寺城の戦いで夜襲をかける。 |
| 1570 | 金ヶ崎の戦いの退き口で殿を務める。 |
| 1570 | 京都御所の警護する。 |
| 1581 | 三木城主となり改築する。 |
| 1582 | 明智光秀の謀反をいち早く知らせる |
| 1583 | 賤ヶ岳の戦い。 |
| 1584 | 小牧長久手の戦い。 |
| 1585 | 四国征伐。 |
| 1587 | 九州征伐。 |
| 1590 | 小田原征伐 |
| 1592 | 文禄の役。 豊臣秀次の家老となる。 |
| 1595 | 豊臣秀次切腹事件。 責任を取って切腹して亡くなる。 |
前野長康は岩倉織田の家臣だった
前野長康の主君
岩倉織田伊勢守(織田信賢)→織田信長 : 配下(滝川一益→飯尾定宗→木下藤吉郎)
1528年、前野長康(演:渋谷謙人)は、「岩倉織田家」の軍奉行を務めた前野康宗の次男として生まれました。岩倉織田伊勢守家は、織田氏の宗家筋にあたる家柄です。そこから分かれた一族に清須織田大和守家(織田信清)があり、さらにその家臣の家筋として織田弾正忠家(織田信長)が位置づけられます。


岩倉織田や清須織田は信長と敵対する勢力ですね
前野長康は幼少期から兵法を学び、同じく岩倉織田家に仕えていた蜂須賀正勝(小六, 演:高橋努)と義兄弟の契りを結び、「川並衆」を率いたと伝えられています。また、この頃から生駒屋敷に出入りしていた木下藤吉郎(豊臣秀吉, 演:池松壮亮)と縁があったともいわれていますが、その詳細はわかっていません。


1558年、岩倉織田家当主の織田信賢は織田信長(演:小栗旬)に敗れ、翌1559年に追放されました。主君を失った前野長康は、木下藤吉郎の誘いを受けてその配下となります。
その後、長康は滝川一益(演:猪塚健太)の配下に編入されたものの口論の末に勘当され、飯尾定宗(桶狭間の戦いで討死)の配下となったとも伝えられていますが、詳しい経緯は明らかではありません。


豊臣兄弟第2話で、「岩倉織田」は織田信長に焼き討ちにされましたね


前野長康は豊臣秀吉の最古参家臣
前野長康は木下藤吉郎(豊臣秀吉)に仕え、秀吉が織田信長に属していた頃から従った最古参の家臣とされています。1566年、秀吉が信長から墨俣築城を命じられると、長康は蜂須賀小六と協力し、斎藤方への調略によって周辺を混乱させ、その隙を突いて墨俣に砦を築いたと伝えられています。これが、いわゆる「墨俣一夜城」です。


前野長康の活躍といえば墨俣一夜城ですよね
前野長康は秀吉に従い、各地の戦場で功績を挙げました。織田氏と六角氏が争った観音寺城の戦いでは、秀吉隊のもとで夜襲に参加したと伝えられています。また1570年、浅井長政(演:中島歩)の離反によって信長軍が危機に陥った際には、秀吉の配下として殿(最後尾)を務めたとされています。


墨俣一夜城以降も前野長康は戦場で活躍していたんですね
前野長康は秀次事件で不遇な人生
その後も前野長康は秀吉の主要な合戦には出陣し、但馬11万石の大名となっています。
1583年 賤ヶ岳の戦い
1584年 小牧・長久手の戦い
1585年 四国征伐
1587年 九州征伐
1590年 小田原征伐
1592年 文禄の役
蜂須賀小六も早くに病没していることから、前野長康は秀吉配下における数少ない古参家臣の一人であったと考えられます。そのため、朝鮮出兵からの帰国後、秀吉の後継者の豊臣秀次の家老として重用されることとなりました。


しかし、これが運命の分岐点となりました。1595年、豊臣秀次が謀反の疑いによって処分される事件が発生します。いわゆる秀次事件。
前野長康は秀次の家老という立場にあり、さらに秀吉との長年の関係を背景に交渉を試みたとされますが、かえって秀吉の不興を招き、連座して罪に問われました。その後、中村一氏(豊臣秀吉の家臣)の屋敷に預け置かれますが、嫡男の前野景定に自害が命じられると、それを追って切腹し亡くなりました。享年67。


67歳まで生きたのに、最期は切腹なんですね、、、
秀吉がまだ「木下藤吉郎」と称していた頃から仕えた古参の家臣でありながら、わずか一つの事件によって命を落とす結果となりました。この処遇については、晩年の秀吉の強硬な姿勢や猜疑心の高まりを背景として理解されることが多く、怒りに任せた処断であったと見る向きもあります。


墨俣一夜城から30年近くも家臣であった人を切腹させるとは
秀吉も恐ろしいですね
前野長康の知名度が低い理由はこれ
前野長康は秀吉の古参家臣であったにもかかわらず、知名度はそれほど高くありません。
同時期に家臣となった蜂須賀小六には野盗出身や矢矧橋の逸話があり、また竹中半兵衛(演:菅田将暉)は病弱ながらも卓越した軍略家として知られています。さらに前田利家(演:大東駿介)は唯一無二の友人であるなど、秀吉の周囲には個性的で逸話に富む人物が数多く存在しました。(まさに秀吉の人たらし)
それに比べると、前野長康は合戦や政務を堅実にこなした実務型の武将であったためか、際立って語られる逸話に乏しい人物です。その結果、他の秀吉家臣の影に埋もれ、後世における知名度が伸びなかった可能性があります。


加藤清正、福島正則など次世代の武将にも強烈なエピソードがありますもんねー
また、秀吉との関係の長さを踏まえれば、諫言できる立場にあったとしても不思議ではありません。しかし、そのような逸話は確認されておらず、豊臣秀長(小一郎, 演:仲野太賀)の死後に行われた朝鮮出兵に対して意見を述べたとする記録も見当たりません。
目立った主張を避け、波風を立てない姿勢は記録に残りにくいものです。こうした日々の積み重ねの結果として、前野長康の評価や知名度は現在に至るまで大きく高まらなかったのかもしれません。


秀吉に従順でうまく仕事をこなすことができた人なんでしょうね
前野長康の相関図














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