
歩兵くん
豊臣秀吉は晩年に老害化してしまいましたね
次々に親族を失ってしまった孤独さからでしょうか

徳川家康
秀吉殿は豊臣家を支えるものを次々と亡くしてしもうたな
それが豊臣家の命とりやったのもしれんの

歩兵くん
今回は豊臣秀吉の晩年に先立った人物について紹介していきます
豊臣秀吉の晩年に先立った人物まとめ


歩兵くん
豊臣秀吉が晩年に亡くした親しい間柄の人々を
まとめてみました
年月 | 人物 | 説明 |
---|---|---|
1590年1月 | 朝日姫 | 妹。徳川家康の継室。 |
1591年1月 | 豊臣秀長 | 弟。豊臣家のナンバー2の名補佐役。 |
1591年2月 | 千利休 | 秀吉により切腹。豊臣家の文化の象徴。 |
1591年9月 | 鶴松 | 長男。3歳で亡くなる。 |
1592年8月 | 大政所 | 母。朝鮮出兵中に亡くなり、秀吉は卒倒した。 |
1592年9月 | 豊臣秀勝 | 甥。朝鮮出兵中の陣中で急死した。 |
1593年3月 | 杉原定利 | 妻・北政所の父。 |
1595年4月 | 豊臣秀保 | 甥。秀長の養子。弔う様子をみせず、葬儀は秘密裏に済ませた。 |
1595年8月 | 豊臣秀次 | 甥。秀吉により切腹。 |
1598年8月 | 朝日殿 | 妻・北政所の母。秀吉の亡くなる7日前に亡くなった。 |
1598年8月 | 豊臣秀吉 |


歩兵くん
豊臣家を支える人物が10年でごっそりいなくなってしまいましたね




豊臣秀吉
わしの身内がどんどん亡くなってしもうたな、、、
家康の付け入る隙を与えてしもうた
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