
大河ドラマ・豊臣兄弟には「大沢次郎左衛門」という鵜沼城の城主が登場しますが
いったい誰なんでしょうか

美濃攻略の際に
わしの出世のきっかけとなった人物なんじゃ

それでは大沢次郎左衛門がどんな人物なのかみてみましょう
↓豊臣兄弟キャストの相関図
史実の大沢次郎左衛門
結論 : 大沢次郎左衛門は実在の人物で鵜沼城主。
大沢次郎左衛門(演:松尾諭)は、斎藤道三(演:麿赤兒)の家臣であり、妻は道三の娘であったといわれています。本名は「大沢正秀」といわれていますが、基康・正重・正継・正次・為康・正盛など、複数の名が史料に残っています。
道三が実の娘を妻として与えるほど、大沢次郎左衛門は重用されており、美濃・鵜沼城も与えられました。槍の達人として知られ、その武勇から「鵜沼の虎」と称されたといいます。


信長も道三の娘・帰蝶を妻にしているので
次郎左衛門は道三に相当気に入られていたんでしょうね


斎藤道三、斎藤義龍(演:DAIGO)が相次いで亡くなり、斎藤家の当主が斎藤龍興(演:濱田龍臣)となった頃、隣国の織田信長(演:小栗旬)は美濃攻略に乗り出しており、鵜沼城もその攻撃目標の一つとなりました。


鵜沼城は戦略的に重要な位置にあるんじゃ
小牧・長久手の戦いでもわしは鵜沼城に陣を敷いたぞ
1564年、織田信長は木下藤吉郎(豊臣秀吉, 演:池松壮亮)に対し、鵜沼城の調略を命じました。城主の大沢次郎左衛門は当初強く抵抗しましたが、翌1565年、秀吉の説得を受けてついに降伏します。
次郎左衛門は秀吉とともに信長のもとへ赴きましたが、信長は彼が再び心変わりすることを恐れ、暗殺を企てたと伝えられています。これを察した秀吉は、大沢次郎左衛門に事前に逃がし、その命を救ったという逸話が残っています。


こちらの話は太閤記の出典です
秀吉伝説を語るために誇張されている節がありますね
以後、織田家臣としての具体的な活躍は史料に見えず、本能寺の変後の1582年に、柴田勝豊(柴田勝家の親族)から近江に所領を与えられたことが確認されています。その後は豊臣秀吉、さらに豊臣秀次に仕え、知行2,600石を与えられました。秀次が失脚すると浪人の身となり、のちに小田原で隠居したと伝えられています。享年75歳。


徳川方として関ヶ原の戦いに出陣したともいわれていますが
詳細は不明です
豊臣兄弟の大沢次郎左衛門※ネタバレあり
ネタバレ含みます
織田信長は美濃攻略の一環として、藤吉郎と小一郎(豊臣秀長, 演:仲野太賀)に対し、鵜沼城主の大沢次郎左衛門の調略を命じ、成功すれば「侍大将」に取り立てると約束しました。
兄弟は親戚の弥助(演:上川周作)と甚助(演:前原瑞樹)を使い、稲葉山城下において「次郎左衛門がすでに織田方に寝返った」という噂を意図的に流布します。その結果、次郎左衛門は斎藤龍興から疑われ、人質として妻の篠(演:映美くらら)を差し出すよう要求しました。


豊臣兄弟では、次郎左衛門は藤吉郎と小一郎の2人から調略を受けることになるんですね


藤吉郎と小一郎は信長の書状を携え、斎藤から織田へ鞍替えするよう次郎左衛門を説得しました。しかし次郎左衛門は、織田に寝返るつもりはないと書状を破り捨て、さらに噂を流した張本人がこの2人であることを突き止めます。その場で小一郎は斬られそうになりますが、藤吉郎は身を挺して小一郎をかばい、自分が人質になる代わりに信長に会ってほしいと懇願しました。藤吉郎の必死の訴えに心を動かされ、次郎左衛門はついに信長と会う決意を固めます。
小一郎と次郎左衛門は、織田の本拠である小牧山城に到着し、信長に謁見しました。ところが前田利家(演:大東駿介)が、次郎左衛門の荷物の中から「苦無」と呼ばれる暗殺用の武器を発見します。これを見た信長は、次郎左衛門を始末するよう命じました。


史実で信長が次郎左衛門を処分しようとしたことと同じ展開ですね
小一郎は、人質となっている兄・藤吉郎の命を救うためにも、次郎左衛門を斬ってはならないと信長に懇願しました。信長はこれを受けて、信長は1日の間に犯人を見つけるように命じ、見つからない場合は自分の手で次郎左衛門を斬れと命じました。
結局、小一郎は犯人を見つけ出すことができませんでした。約束の期限を迎え、信長は次郎左衛門を斬るよう命じます。ところが小一郎は、次郎左衛門の命は、兄・藤吉郎の命と同じと言って斬ることができませんでした。この姿を見た信長は、次郎左衛門を許しました。そして次郎左衛門は鵜沼城に戻り、藤吉郎もまた無事に人質から解放されました。


史実では秀吉が次郎左衛門を助けたことになっていますが
豊臣兄弟では小一郎が次郎左衛門を助けていますね
大沢次郎左衛門の相関図










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