
大河ドラマ・豊臣兄弟に登場する「石成友通」は三好三人衆の一人ですね
阿部亮平さんが演じていますね

三好長慶の奉行人で三好政権の出世頭じゃな

それでは、石成友通の生涯をみてみましょう
↓豊臣兄弟キャストの相関図
石成友通の年表
| 年 | 説明 |
|---|---|
| ?? | 畿内で誕生したとされる。 |
| 1551 | 三好長慶の奉行衆として仕える。 |
| 1553 | 数掛山城を攻めるが惨敗する。 |
| 1558 | 北白川の戦い。 |
| 1564 | 三好長慶が亡くなる。 三好三人衆として三好義継の後見役を務める。 |
| 1565 | 足利義輝を討つ。(永禄の変) |
| 1566 | 松永久秀を三好家から追放する。 |
| 1567 | 松永久秀と東大寺で対陣する。 |
| 1568 | 上洛してきた織田信長に抵抗する。 勝龍寺城で籠城するも落城する。 |
| 1569 | 足利義昭を襲撃する。(本圀寺の変) |
| 1572 | 三好から寝返り織田に仕える。 織田包囲網の司令を受けて再び敵対する。 |
| 1573 | 羽柴秀吉の軍勢に攻められ討ち死にする。 |
石成友通は三好三人衆


石成友通(演:阿部亮平)の出自は明らかになっていませんが、大和出身とする説が有力です。三好本家の本拠である阿波(徳島県)出身ではないことはほぼ確実とされており、松永久秀(演:竹中直人)と同様に、畿内で登用された人物であったと考えられています。
なお、苗字は「石成」と書きますが、読みは「いわなり」です。また、同じ読みで「岩成」と表記されることもあります。


1551年、石成友通は堺で開かれた津田宗達(津田宗及の父)の茶会に出席したことなどをきっかけに、三好長慶に仕えるようになりました。
その後、三好長慶の奉行衆として頭角を現し、1564年に長慶が亡くなると、三好三人衆の一人として三好義継の後見役を務めました。


三好三人衆は、三好長逸、三好宗渭、石成友通の3人ですね


石成友通は松永久秀との因縁
1565年、石成友通は当主の三好義継や松永久通、三好三人衆とともに足利義輝を暗殺しました(永禄の変)。これを契機として、三好長慶の死後、三好政権を主導する立場となっていきます。


松永久秀が暗殺したように言われますが実行犯は三好義継ですね
その後も三人衆とともに行動して、三好義継の居城に乗り込み、義継の重臣を斬殺しました。さらに、三好家から松永久秀を追放するよう、当主の三好義継に迫りました。
これにより松永久秀は失脚し、三好三人衆は当主の三好義継を差し置いて、三好政権を主導する立場となりました。


絶対的カリスマの三好長慶の死により家臣の三好三人衆が台頭、、、
どこでもある話なんですね


1566年、石成友通ら三好三人衆は足利義栄を擁立して第14代将軍とし、傀儡政権を樹立しました。そして、足利義栄に松永久秀の討伐令を出させ、松永久秀を孤立させます。
しかし、当主の三好義継が出奔して松永久秀と手を結ぶと、石成友通は大和の筒井順慶と結んでこれに対抗しました。ところが、東大寺の戦いで松永久秀に敗れました。


石成友通は政権の主導権を狙って、松永久秀と長いこと対立していたんですね


石成友通は織田信長に抵抗する
1568年、織田信長(演:小栗旬)が足利義昭(演:尾上右近)を奉じて上洛してくると、石成友通は三好三人衆と連携し、それまで敵対していた六角義賢と手を結んで抵抗しました。
しかし、畿内の多くの城はほどなく信長に降伏し、三好義継や松永久秀は、むしろ信長の上洛に協力する姿勢を見せていました。


友通は久秀はずっと敵対していますね
最終的に信長に抵抗したのは、勝龍寺城に籠る石成友通と、摂津池田城の池田勝正のみとなり、両者は最後まで強硬な姿勢で抵抗したとされています。しかし、やがて細川藤孝(演:亀田佳明)に攻め込まれ、石成友通は勝龍寺城を開城しました。
その後、上洛していた織田軍の兵糧が尽きたため、信長はわずかな手勢だけを京都に残して岐阜へ戻ります。その隙を突き、石成友通は三好三人衆と協力して、本圀寺にいた足利義昭を攻撃しました(本圀寺の変)。
この報せを受けた信長は、わずか十騎を率いて岐阜から京都へ急行します。さらに松永久秀も援軍として駆けつけたため、石成友通らは撃退されてしまいました。


織田軍があまりにも早く畿内を制圧したから
兵糧を十分に用意できなくて起こった事件ですね
三好三人衆の最期
本圀寺の変の後、三好三人衆は本国の阿波(徳島県)まで退き、態勢の立て直しを図りました。
しかし、三好三人衆の一人であった三好宗渭が亡くなり、さらに翌1570年には三好長逸が合戦中に行方不明となってしまいます。これにより、三好家は徐々に衰退していきました。
こうした状況の中、1572年に石成友通は三好氏から織田氏へと寝返り、山城郡代に任じられました。信長から「表裏なき仁」と評されるなど、一定の信頼関係は築かれていたようです。しかし、信長と足利義昭が対立すると、石成友通はこれに呼応して信長に反旗を翻しました。
1573年、信長の命を受けた羽柴秀吉(藤吉郎, 演:池松壮亮)、細川藤孝、三淵藤英(演:味方良介)の軍勢が、石成友通の籠る淀城を攻めました。友通は奮戦しましたが、秀吉の調略によって家臣の裏切りが相次ぎ、ついに戦死しました。
これにより三好三人衆のすべてが亡くなり、さらに当主の三好義継も信長に攻められて自害したため、三好家は壊滅しました。


天下の三好家も三好長慶が亡くなってから急に衰退しましたね










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