
大河ドラマ・豊臣兄弟に登場する「安藤守就」は美濃三人衆の一人ですね
守就にとって豊臣秀長と竹中半兵衛は娘壻でもあります

しかし本能寺の変に便乗して挙兵したんじゃ
困ったやつじゃ

それでは、安藤守就の生涯をみてみましょう
↓豊臣兄弟キャストの相関図
安藤守就の年表
| 年 | 説明 |
|---|---|
| 1503 | 安藤守利の子として誕生。 |
| 1550? | 斎藤道三に仕える。 |
| 1556 | 長良川の戦い。 斎藤義龍側に就く。 |
| 1561 | 斎藤龍興に仕える。 |
| 1564 | 竹中半兵衛と共闘して稲葉山城を奪還する。 |
| 1567 | 斎藤家を見限り織田信長に仕える。 |
| 1568 | 上洛戦。 |
| 1570 | 姉川の戦い。 |
| 1573 | 槇島城の戦い。 浅井朝倉征伐。 |
| 1574 | 長島一向一揆の殲滅戦。 |
| 1577 | 柴田勝家の援軍として加賀に出陣。 |
| 1578 | 羽柴秀吉の援軍として中国征伐に出陣。 |
| 1580 | 林秀貞とともに謀反の疑いがあるとして追放される。 |
| 1582 | 本能寺の変に便乗して出陣する。 稲葉一鉄に攻められて自害。 |
安藤守就は美濃三人衆の1人
1503年、安藤守利の子として誕生しました。安藤氏は平安時代の藤原秀郷を祖とする美濃(岐阜県)の一族でした。母は稲葉良通の伯母に当たります。
やがて斎藤道三(演:麿赤兒)が台頭すると、その家臣として仕えるようになります。稲葉良通(一鉄, 演:嶋尾康史)、氏家直元(卜全, 演:河内大和)と並び、道三の重臣として活躍し、のちに「美濃三人衆」と称されました。


「美濃三人衆」と言われるのは織田信長の家臣になってからだと言われています
1554年、信長の要請を受けた斎藤道三は、守就を那古野城(名古屋城)へ援軍として派遣しました。婿である信長の救援を任せたことから、守就が道三の信頼を得ていたことがうかがえます。
しかし、長良川の戦いでは、守就は道三ではなく斎藤義龍(演:DAIGO)の側につきました。その後、義龍の死去に伴い、守就は後継者である斎藤龍興に仕えることになります。


竹中半兵衛と稲葉山城を奪還
斎藤龍興(演:濱田龍臣)は、祖父・道三や父・義龍の代から仕える重臣や美濃三人衆を遠ざけるようになりました。また、守就の娘婿である竹中半兵衛(演:菅田将暉)を冷遇し、酒色に溺れるなど、素行の乱れが目立っていたといわれています。守就や半兵衛が忠告を重ねても、龍興がそれを聞き入れることはありませんでした。


龍興は14歳で家督を継いだからの無理はないの
そこで守就と半兵衛は、弟の病気見舞いを名目に稲葉山城(岐阜城)へ入り、龍興の寵臣であった斎藤飛騨守ら6名を討ち取り、龍興を城から追放しました。
しかし、半年以上が経過しても他の斎藤家臣の多くは守就や半兵衛に従わず、支持を広げることはできませんでした。そのため、両者は稲葉山城を龍興に返還し、和解することになります。この挙兵は秘密裏に行われたため、事前の根回しが不十分であり、他の家臣の支持を得られなかった可能性が指摘されています。


竹中半兵衛が主君を諌めるためという美談で語られがちですね


安藤守就は織田信長の家臣
稲葉山城に復帰した主君・斎藤龍興は織田信長との戦いを続けました。局地的に勝利を収めることはあったものの、戦局は次第に不利となり、追い詰められていきます。
こうした情勢の中、守就は稲葉良通、氏家直元とともに織田家へ寝返りました。その後は信長の家臣として、各地の主要な合戦にほとんど出陣し、織田家の美濃支配と勢力拡大に貢献しています。
1568年 : 上洛戦。
1570年 : 姉川の戦い。
1571年 : 伊勢長島攻め。
1573年 : 槇島城の戦い。浅井朝倉征伐。
1574年 : 長島一向一揆の殲滅戦。
1577年 : 柴田勝家の援軍として加賀に出陣。
1578年 : 羽柴秀吉の援軍として中国征伐に出陣。


一説には、佐久間信盛や柴田勝家と肩を並べるほどの重臣だったとも
織田家を追放される安藤守就
1575年、織田信長は家督を嫡男・織田信忠(演:小関裕太)に譲りました。このとき、多くの美濃出身の武将が信忠の配下に編入されたにもかかわらず、守就は引き続き信長の直臣にとどまりました。
これは、信忠や信雄、信孝といった後継世代を補佐し、不測の事態が生じた際には、守就のような経験豊富な重臣が迅速に対応できる体制を整える意図があったためと考えられます。いずれにせよ、この措置は、信長が守就を厚く信頼していたことを示すものといえるでしょう。


しかし1580年、守就は野心の疑いをかけられ、重臣の林秀貞(演:諏訪太朗)、丹羽氏勝とともに信長によって追放されました。追放の理由は明確にはわかっていませんが、一説には武田氏との内通が疑われたためともいわれています。
前年の1579年には、同じく武田氏との内通を疑われた徳川家康(演:松下洸平)の嫡男・松平信康と、その正室・築山殿が自害に追い込まれており、信長が武田方との内通に対して極めて厳しい姿勢をとっていたことがうかがえます。


林秀貞の追放の理由は24年も前に、弟の信勝の肩をもったからとも言われています
なお、同時期には筆頭家老の佐久間信盛も追放されています。信盛の場合は、本願寺攻めにおける働きの不十分さを厳しく責められたことが理由でした。信盛については、改心すれば帰参を許す意向があったともいわれており、武田氏との内通や野心を疑われて追放された守就らとは、事情が異なっていたと考えられます。


信長様が許す前に信盛殿が先に亡くなってしもうたんじゃな
安藤守就の運命も狂わせた本能寺の変
追放された守就は、斎藤家時代からの同僚であった稲葉一鉄の預かりとなりました。これにより、安藤氏の旧領はすべて稲葉氏の支配下に置かれることになります。
そのようなとき、1582年に本能寺の変が勃発しました。守就はこれを好機と捉え、旧領である北方城を奪還して大名への復帰を図ります。
しかし、稲葉一鉄の攻撃を受けて敗北し、一族とともに自害しました。これにより安藤氏は滅亡し、守就は享年80で生涯を閉じたと伝えられています。


80歳になっても再起を図ろうとしてるのはすごいですね


安藤守就の相関図


豊臣兄弟での安藤守就 ※ネタバレあり


豊臣兄弟での安藤守就はどのように描かれるようになるのでしょうか
安藤守就の娘は、慶(慈雲院, 演:吉岡里帆)とされています。慶は豊臣秀長(小一郎, 演:仲野太賀)の正室であり、この設定では守就にとって秀長は娘婿にあたることになります。
ただし、この関係性はドラマオリジナルの設定であるため、守就は秀長と深く関わる重要人物として描かれる可能性が高いでしょう。
また、安藤守就役には田中哲司さんが配役されています。斎藤家から織田家への寝返りや織田家からの追放、さらには本能寺の変後の動向などが、秀長の視点を通して描かれることが予想されます。


安藤守就にフォーカスされるのは新鮮なので楽しみですね














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