
織田信長はどんな顔だったんでしょうか?

信長様の肖像画の数はものすごい数残っておるから
そこから検討をつければよいのではないか

そうですね
今回は織田信長の肖像画・彫刻・銅像を集めてみました!
織田信長の肖像画


織田信長の最も有名な肖像画でしょう。「天正十一年六月二日」の年記があり、本能寺の変から1年後にあたる一周忌に狩野永徳の弟・狩野宗秀から寄贈されたものです。
長興寺の織田信長はから、面長な顔、エラの張った顎、大きな鼻、はっきりした目、鼻の下と顎の髭、眉間の縦皺が目立ちます。


長興寺の信長から
信長にキリッとしたイメージがあるんでしょうね


戦国時代末期に、ヨーロッパの宣教師が描いたという西洋画法の織田信長。
写真のように描かれたこの絵は、2001年にテレビ番組で放送されて以来注目されています。
肖像画の原本は失われてしまったため、現存しているのは明治時代に撮影された複製写真だけです。


写真のように見えますが
写真ではありません


束帯姿で描かれている信長であり、公家や朝廷とも関わりがあったため描かれててもおかしくはありません。
元々は安土城下のお寺に伝わっていた肖像画で、死後まもなくか一周忌以内に描かれている為、生前の姿に近いと言われています。


狩野永徳が描かれたとされる肖像画。眉間のシワや目つきがちょっと恐ろしいがリアリティのある作品。
狩野永徳は安土城の内装を任された絵師として、信長をある程度親しく観察できたと考えられることから、かなり本物の信長に近い肖像画と思われます。


なよっとしている信長ですね
面識もあり、画力のある狩野永徳が描いてるなら
本物に近いのかも


織田信長と親しかった公家の近衛前久が、信長七回忌に描かせたものと伝えられます。


思い描いているような信長の顔ではなくて
残念ですね
こちらの肖像画は、面長で、大きな鼻、広い額、心持ち垂れ目、鼻下に髭があり、有名な長興寺と共通しています。
しかし、こちらの肖像画にはホクロが描かれており。タレ目な印象もあります。
織田信長の肖像画一覧


信長様の肖像画を15枚も紹介するぞ
































肖像画の信長を見る限り
面長な顔つきだったんでしょうね
織田信長の彫刻


豊臣秀吉は、織田信長の菩提を弔うため、大徳寺山内に総見院を建立し、その本堂に信長像を安置しました。信長は派手な装いを好んだとされていますが、この像が質素な姿で描かれているのは、秀吉の意向によって作り直しが行われたためだと伝えられています。


秀吉は自分とキャラがかぶるのが嫌だったんでしょうね


阿弥陀寺と織田信長の関係は深く、その開山である清玉上人は、織田家の庇護を受けて出家しました。以後も信長は、阿弥陀寺の整備に尽力したと伝えられています。
本能寺の変の際には、清玉上人が本能寺に駆けつけましたが、すでに信長・信忠父子は自刃しており、その遺骨をこの阿弥陀寺に埋葬したとされています。
現在、信長像は通常非公開となっており、毎年信長の命日にあたる6月2日のみに本堂が開かれ、拝観することができます。
織田信長の銅像


最近、作られた信長の銅像を一挙に紹介します


















いろいろな信長がいますね
みなさんはどの信長が好きですか


マスクをしている岐阜駅の信長。コロナ禍にはマスクをしていました。2009年に建てられたが、今や観光スポットになっています。


信長様はかっこいいのー
織田家の人間は美男美女が勢揃いじゃわ
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