
大河ドラマ・豊臣兄弟に登場する「氏家直元」は美濃三人衆の一人ですね
河内大和さんが演じています

稲葉一鉄に隠れているが、氏家直元は美濃の三分の一を領していたんじゃぞ

それでは、氏家直元の生涯をみてみましょう
↓豊臣兄弟キャストの相関図
氏家直元の年表
| 年 | 説明 |
|---|---|
| 1512 | 氏家行隆の子として誕生。 |
| 1556 | 長良川の戦い。 |
| 1567 | 稲葉良通、安藤守就とともに織田に寝返る。 |
| 1567? | 「卜全」と号する。 |
| 1570 | 姉川の戦いに出陣する。 |
| 1571 | 長島攻めに出陣する。 撤退戦で討ち取られる。 |
氏家直元は美濃三人衆
氏家直元(演:河内大和)の生年は明らかではありませんが、1512年頃の生まれと推測されています。父は氏家行隆とされます。
直元は当初、美濃の守護であった土岐頼芸に仕えていましたが、斎藤道三(演:麿赤兒)の台頭に伴い、斎藤家の家臣となりました。その後、長良川の戦いでは道三を見限り、斎藤義龍(演:DAIGO)に与しています。


他の美濃三人衆の稲葉良通と安藤守就も長良川の戦いで義龍側についていますね
また、直元の本姓は「桑原」であったと伝えられます。主君・斎藤義龍が「一色」の姓を賜ったのに伴い、直元もまた名門の「氏家」姓を称するようになったといわれています。


氏家卜全の方が有名?
氏家直元は、稲葉良通(演:嶋尾康史)、安藤守就(演:田中哲司)とともに「美濃三人衆」と称され、斎藤道三・斎藤義龍・斎藤龍興の三代にわたって仕えました。
直元は大垣城を本拠として勢力を張り、最盛期には「美濃国の三分の一」を領したともいわれています(宣教師ルイス・フロイスの記録による)。


稲葉一鉄の方が有名なので意外ですよね
しかし、斎藤龍興(演:濱田龍臣)は道三以来の重臣たちを軽んじたため、直元らの立場は次第に揺らぎました。
こうした状況の中、1564年、竹中半兵衛(演:菅田将暉)や安藤守就らが稲葉山城を奪取し、主君・斎藤龍興を一時追放する事件が起こります。直元もこの動きに同調しました。ただし、この奪取は長くは続かず、半年ほどで半兵衛は城を返還しています。


稲葉山城の奪還は「竹中半兵衛」の名を一気に天下に知らしめたんじゃ
その後も直元・稲葉良通・安藤守就の三人は龍興に仕え続けましたが、次第に政権の中枢から遠ざけられていきました。やがて織田信長(演:小栗旬)が三人衆に対して調略を仕掛けると、三人衆はこれに応じて織田方に寝返りました。そして、織田信長の稲葉山城攻略の一翼を担うこととなりました。
また、直元は織田家臣となった際、「直元」から「卜全」へと改名しています。


氏家卜全の方が知られているのは、織田家に仕官してからの諱だからでしょうね


氏家直元は撤退戦で討ち死に
織田信長の家臣となった氏家卜全は、他の美濃三人衆と同様、主要な合戦に出陣し、戦功を重ねていきました。
1568年 : 上洛戦。
1569年 : 伊勢大河内城攻め。
1570年 : 姉川の戦い。


織田家でも実力を発揮したんですね
しかし、1571年の長島一向一揆が、氏家卜全にとって最後の戦いとなりました。
長島一向一揆は、石山本願寺と並び、信長を大いに苦しめた本願寺勢力の一つです。浄土真宗の信仰による強固な結束、豊富な兵力と資金を背景に、織田信長も苦戦を強いられました。
織田軍は長島周辺の村々に放火したのち撤退を図りますが、その際に一揆勢から背後を突かれます。織田本隊は辛くも退却に成功したものの、卜全が属していた柴田勝家隊は一向一揆勢の追撃を受けました。激しい撤退戦の最中、氏家卜全は討ち死にします。享年59。


撤退戦は敵軍の攻撃を一手に引き受けるから難しいですよね


氏家直元の子孫は?


氏家卜全が討ち死にした後の氏家一族はどうなったのでしょう
氏家卜全の死後は、長男の氏家直昌(直重)が家督を継ぎました。直昌もまた父譲りの才覚を備え、美濃三人衆の一角として勢力を維持しました。
1573年には、朝倉義景(演:鶴見辰吾)のもとに身を寄せていた旧主君・斎藤龍興を討ち取るという武功を挙げました。1582年の本能寺の変以後は、羽柴秀吉(豊臣秀吉, 演:池松壮亮)の軍門に下りました。
やがて直昌が没すると、卜全の次男・氏家行広が家督を継ぎました。
しかし、1600年の関ヶ原の戦いで西軍に与したため改易となります。その後、大坂の陣では浪人衆として参陣しましたが、敗戦ののち自害しました。こうして、氏家卜全の一族は次第に歴史の表舞台から姿を消すこととなりました。












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