
戦国時代には各地でたくさんの戦国大名が生まれたけど
そもそも武士って一体なんだ?

武士はもともと朝廷と関係がある貴族だったんじゃぞ

戦国大名も貴族だったのか!?
それでは武士とは一体なにかに迫っていこう!
そもそも武士ってなに?
戦国時代よりもさらに昔の平安時代の末期、朝廷や公家たちは自分の身を守るために護衛を雇うようになりました。護衛をするには都に出入りできる身分でないといけないため、もともと朝廷と関係がある者がボディーガードに任命されます。


古来から家柄が大事なんじゃ
そしてこの護衛は天皇の血をひいている高貴な家柄のため、人や物が集まり武士団を形成。武士たちは、次第に力をつけてゆき源氏や平氏という強力な武士団へと成長しました。


武士はたちの先祖はもともと天皇家なのか


源氏と平氏
源氏と平氏とは?
強力な武士集団へと成長した源氏と平氏。源氏は二十四の流派から成り立っているといわれており、清和天皇の流れをくむ「清和源氏」や村上天皇の血をひく「村上源氏」、嵯峨天皇を祖とする「嵯峨源氏」などがあります。
一方、平氏は源氏より数が少なく、四つの流派から成り立っています。桓武天皇の流れをくむ桓武平氏や仁明平氏などがあります。


どの天皇から分岐したかで所属する武士団が違っていて
平氏や源氏という派閥が生まれたんやなー




合戦で勝利すると、敵将の女・子供を成敗するのは
武将たちは頼朝公が復活したことを知っているからじゃぞ


戦国武将の多くが源頼朝を尊敬していたみたいだからなー
源家ってなんでいわないの?
力をつけた武士団の源氏と平氏。平氏のことをよく「平家」ともいいますが、なぜ源氏のことを「源家」とはいわないのでしょうか?
そもそも氏と家は異なります。氏はその姓を名乗るすべての一族を指しますが、家は特定の一族だけを指します。つまり平氏は「平」の姓を用いるすべての人を表しますが、平家は「平清盛一家」だけを指します。
源氏は平安時代末期に権力争いで敗れて各地に散らばっていたため、平家のような強力な一家が形成されず、源家は生まれませんでした。


源家というとしたら源頼朝一家やなー
また、壇ノ浦の戦いにより平家は滅亡しましたが、北条家などの平氏は滅んではいないため、その後も平氏の血は途絶えず戦国武将たちに受け継がれています。


平家は滅んだが、北条家が鎌倉幕府の執権となったから平氏は台頭したということじゃ


北条家は平氏だけど平を名乗っていないのは、
平氏ばかりではややこしいから自分の領地をそのまま苗字にしたんだよなー
平清盛たちは自分が本家と思ってるからそのまま「平」を使い続けたわけだ


源平交代思想
平安時代末期から武士が台頭し、武家政権が誕生しました。以降、政権を担うのは平氏と源氏が交代交代になっているという考え方があります。これを源平交代思想といい次のようになっています。
- 平氏(平清盛)
- 源氏(源頼朝)
- 平氏(鎌倉幕府・執権北条家)
- 源氏(室町幕府・将軍足利家)
- 平氏(織田信長)
- 源氏(明智光秀)
- 平氏(豊臣秀吉)
- 源氏(江戸幕府・将軍徳川家)
織田信長が天下をとったころから、源平交代思想が信じられるようになってきたため、信長は平氏と称するようになったといわれています。


徳川家康は源氏でも平氏でもなかったみたいだけど、
源氏と言い張って征夷大将軍になったみたい


征夷大将軍、関白、太政大臣などの役職は源氏か平氏しかなれんからのー


まとめ
戦国時代に台頭した戦国武将。そのルーツは天皇の血をひく高貴な家柄でした。実力があるものがのしあがっていける戦国時代とはいえ、やはり家柄が大事なんですね。


源氏や平氏以外にも、
藤原氏や橘氏なども武士団を形成したよ
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