
戦国の魔王織田信長の妹お市の方についてみていくぞ

お市の方は戦国一の美女じゃったぞ
秀吉殿は大変好いておられた

戦国時代の渦に巻き込まれたお市の方!!
そんな波瀾万丈の人生を見ていこう!!
お市の方の誕生
お市の方は1574年、尾張(愛知県)に織田信秀の五女として生まれました。兄は「尾張のうつけ」といわれた織田信長です。


信長の妹と考えられているけど、信長の姪だったという説もあるみたい
天下統一を目指していた信長は隣国美濃(岐阜県)を平定するため、近江(滋賀県)の大名浅井長政と同盟を結ぶことにしました。そこで、信長は政略結婚としてお市の方を長政のもとに嫁がせます。


浅井長政に嫁いだのはお市の方が21歳のときで、
当時としてはあまりにも晩婚すぎることから長政は再婚相手ではないかといわれているよ
お市の方と浅井長政は仲が良く、2男3女を授かったといわれています。2人の間に生まれた茶々(淀殿)、初、江の3人の娘たちはそれぞれ名門家に嫁ぎ、歴史に深く関わっていくことになります。また、長男の万福丸と次男の万寿丸はお市の方の実子であるかははっきりとはしていません。


信長殿はお市の方の実力を高くかっていたようで、
「もし市が男ならよき武将になっただろう」と仰っていたぞ


信長が政略結婚に用いていたのはほとんど信長の養女で、
実の娘や妹はあまり嫁がせていないもんなー


(高野山持明院所蔵)
お市に起きる悲劇その一
夫浅井長政と兄織田信長の同盟関係は良好でした。ところが信長は、突如浅井家が代々同盟を結んでいる朝倉家へ侵攻。そのことを知った長政は信長との同盟を破って合戦が勃発。同盟は破棄されてしまいます。


長政が信長を突如同盟を破ったから
信長は長政から奇襲攻撃を受けたよ
信長は命からがら逃げ延びたで
そして織田徳川連合軍と浅井朝倉連合軍は何度か合戦を繰り広げ、最終的に信長は長政の居城小谷城を包囲。夫長政は自害してしまいますが、お市の方と3人の娘は織田家に引き取られます。


信長殿はお市の方や三姉妹のことを気にかけておられて、贅沢させておったぞ


お市に起きる悲劇そのニ
明智光秀が織田信長に謀反を起こし本能寺の変が起きると、織田家の後継者争いが勃発。
お市の方は信頼できる織田家の重臣柴田勝家にかけました。ところが、豊臣秀吉に織田家の実権を握られてしまいます。そこで、お市の方は秀吉のことを非常に嫌っていたため、秀吉に取り込まれないようにと勝家と再婚。勝家とともに越前(福井県)に移り住みます。
しかし、勝家と秀吉の関係は長くは続かず、賤ヶ岳の戦いで衝突。そして、秀吉に居城北ノ庄城を包囲されてしまいます。勝家は3人の娘とともにお市の方も逃げるように説得しますが、お市の方は勝家とともに自害しました。


お市の方は秀吉殿のことを嫌っておったから
秀吉殿が天下をとった世の中では生きたくなかったんじゃろなー


まとめ
戦国時代を生き抜いた絶世の美女お市の方。その生涯は波瀾万丈なもので、戦国の世の生きづらさを物語っています。
お市の方の辞世の句は
「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ ほととぎすかな」
「もう寝る時間であるにも関わらず、まるで夏の夜に別れを告げるほととぎすのようだなー」と歌って、亡くなったといわれています。


ホトトギスは死後の世界にある険しい山から飛んでくるという考えられていたから、ホトトギスがお市の方を迎えに来ているようだなーと歌ったんやなー


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